日本社会への定着と展開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 06:20 UTC 版)
「バレンタインデー」の記事における「日本社会への定着と展開」の解説
デパート各店がバレンタインデー普及に努めていたが、なかなか定着せず、1968年をピークに客足は減少し、「日本での定着は難しい」との見方もあった。しかし、オイルショック(1973年)に見舞われ、高度経済成長が終焉した1970年代前半頃になると、チョコレートの売上が急増した。オイルショックによる不況にあえいでいた小売業界がより積極的にマーケティングを行ったとされ、1970年代は日本の資本主義がほぼ完成し、成熟した消費社会になった時期とも重なる。バレンタインデーにチョコレートを贈るというのは、小学校高学年から高校生までの学生層から広まったという。1980年代後半頃には夫や父親、義父に贈る主婦層にも普及した。また人気アイドルやスポーツ選手、さらにはゲームの開発部署やキャラクター宛にチョコレートが贈られるケースもあり、のちにこのような行為は「推しチョコ」と呼ばれるようになった。贈られたチョコレートがフードバンクへ寄付されたケースもあった。 前節で述べたように、当初は贈答品はチョコレートに限られておらず、誰とも交際していない女子から意中の男子へという形でもなかった。バレンタインデー普及には商業活動が一役買ったことは間違いないが、日本社会に受け入れられやすかった要素とそうでなかった要素があることが指摘されている。現在、一般に「バレンタインデーはチョコレート業界の陰謀」と認識されていることとは裏腹に、バレンタインデー定着の過程には、小学校高学年から高校生の主導的な選択があったことが指摘されている。
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