日本交通の設立〜溜池本社時代
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「日本交通 (東京都)」の記事における「日本交通の設立〜溜池本社時代」の解説
1947年(昭和22年)11月 - 本社を西神田へ移転。 1949年(昭和24年)2月 - 日交自動車整備株式会社を設立。 11月 - 愛光自動車株式会社を買収し、横田営業所とする。横田営業所の15台に、車体に桜のマークを付ける。 1950年(昭和25年)12月 - 本社を赤坂溜池へ移転。 1951年(昭和26年)1月28日 - 小田原交通株式会社を箱根交通株式会社と改称し、買収した大箱根自動車株式会社、神奈川県足柄上郡三保村農業会自動車部と統合して営業を開始(箱根地区に進出)。 6月15日 - 日本遊覧自動車株式会社を傘下に収める。 6月30日 - 東急系持株のほとんどが川鍋側に移行。川鍋家のオーナー企業となり、日交グループを形成。 7月23日 - 五島慶太に顧問委嘱。 業界で初めて屋上灯を採用。 1952年(昭和27年)4月1日 - 株式会社埼玉タクシーを傘下に収め、川鍋秋蔵の郷里・大宮地区に進出。 12月 - タクシーに国産のプリンス車を大量採用(130台)したのを期に、タクシーの意匠を統一し、あんどん(看板灯)を業界で初めて採用した。 1953年(昭和28年)1月 - 立川営業所を開設し、多摩地区に進出。 4月1日 - 日本遊覧自動車から観光バス事業を譲受し、兼営開始。箱根交通・大宮交通の事業も併せて譲受し、本社直営とする。 1954年(昭和29年)9月 - 営業課に指導係をおき、指導車(パトロールカー)による乗務員の街頭指導を開始。 1956年(昭和31年)12月 - 清和自動車交通株式会社を買収し、目白営業所とする(翌年1月、日本交通タクシー株式会社と改称するが、9月には日本交通に事業統合)。 1958年(昭和33年)6月 - 乗務員としての指導教育の徹底のため、関係法令や運転上注意すべき事項をまとめた「タクシー乗務員勤務心得」を乗務員に配布。7月 - 興東自動車株式会社を買収する(9月に第一日本交通株式会社と改称)。 12月 - ニュートオキョータクシー株式会社を買収する(翌年に第二日本交通株式会社と改称)。 1959年(昭和34年)4月 - 3社を買収(千代田交通株式会社→第三日本交通株式会社、ジャパンキャリエーヂ株式会社→第五日本交通株式会社、東京自動車交通株式会社→第六日本交通株式会社)。傘下の会社も含め車両数1,256台となり、当時としては世界最大規模のタクシー会社となる。 1960年(昭和35年)5月 - 従来は配属営業所において見習乗務員として教育訓練していたものを、教養係を新設し、業界初の試みとして新入乗務員の教育講座を開始(日本交通乗務員養成教育講習会=通称「日交学校」)。 11月 - 無線タクシー運行開始。 1963年(昭和38年) - 日本初のフォークリフト式立体駐車場を木挽町に完成させる(地上13階建、22台が収容可能)。 1964年(昭和39年) - LPG車導入。 1965年(昭和40年)2月 - 都民タクシー株式会社を買収し、第七日本交通株式会社と改称。 3月 - 三光自動車株式会社を買収。
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