日本の公的宇宙機関による宇宙飛行事業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 01:10 UTC 版)
「日本人の宇宙飛行」の記事における「日本の公的宇宙機関による宇宙飛行事業」の解説
秋山の飛行以後、日本はアメリカ航空宇宙局(NASA)のスペースシャトルを利用した宇宙開発事業団(NASDA)の有人宇宙飛行事業を通して有人宇宙飛行のノウハウを学ぶことを開始した。そして1992年のSTS-47で、NASDA宇宙飛行士の毛利衛がNASAのペイロードスペシャリストの資格で宇宙飛行を行い、日本人初のスペースシャトル搭乗者にもなった。次に日本人が宇宙飛行をしたのは1994年のSTS-65で、向井千秋は日本人女性で初めて宇宙飛行をした人物となった。 NASAによりミッションスペシャリストの資格(スペースシャトルの運用や船外活動も可能な資格)が国際的に開放されると若田光一が日本人第一号となり、1996年のSTS-72でロボットアームによる衛星捕獲を行い、続いてSTS-87で土井隆雄が初めて宇宙遊泳(船外活動)を行った。 これらの経験は、日本が国際宇宙ステーション(ISS)に設置する宇宙実験棟「きぼう」の開発にも活用されており、日本人宇宙飛行士は、将来的にきぼうを軌道上で組立・操作する立場からきぼうの開発に参加し、使い勝手を検証して設計に役立てたり、運用マニュアルを作成するなどの業務にも従事した。そして1998年からISSの建設が開始されると、日本人宇宙飛行士も一部のフライトに搭乗し建設作業に参加するようになり、2008年からきぼうの一部がISSに打ち上げられ始めると、打ち上げと組立ての際には、必ず日本人宇宙飛行士がシャトルに同乗もしくはISSに滞在し作業を担った。 2003年には、日本の宇宙機関が統一して宇宙航空研究開発機構(JAXA)が設立され、NASDAの有人宇宙飛行事業がそのまま受け継がれた。また同年にはコロンビア号空中分解事故が発生し一時日本人の有人宇宙飛行も中断することになった。 2009年の若田光一の第18次・第19次・第20次長期滞在は、日本人で初めてのISS長期滞在となった。また同年からISSの長期滞在人数が従来の3名から6名に拡大されたことで、日・欧・加の宇宙飛行士の宇宙滞在機会が増加することになった。このため、JAXAは訓練やバックアップのため、2009年に大西卓哉、油井亀美也、金井宣茂を宇宙飛行士訓練生として追加採用し、2011年に基礎訓練を終えた3名をJAXA宇宙飛行士に認定した。これら3名の新たな宇宙飛行士が最終訓練を終えて初飛行するのは2014年以降となる。なお、2022年時点までに毛利、土井、山崎、野口が宇宙飛行士を引退している。 また2009年のソユーズTMA-17で、正式な日本人宇宙飛行士の飛行としては初めてソユーズが使用され、野口聡一が日本人としては初めて宇宙船の操縦業務に携わった。 2012年7月時点ではISS利用のための長期滞在が行われており、ソユーズを利用して年間1~2名の日本人が宇宙飛行をしている。
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