日本におけるワーキングプア
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「ワーキングプア」の記事における「日本におけるワーキングプア」の解説
「所得分布#日本」も参照 ワーキングプアという言葉をはじめて日本に持ち込んだのは江口英一であった。高度成長期に入り旧厚生省が1965年に貧困の統計をやめ「1億総中流化」となった状況の中で、東京都中野区の課税台帳を電算集計することにより、4分の1程度の住民が生活保護水準以下の生活をしていることが明らかになった[出典無効]。 日本では、1990年代以降のグローバリゼーションの流れに対応して、政府・企業の主導のもと、労働市場の規制緩和・自由化がすすめられた。派遣労働の段階的解禁はその表れだが、その他パートや契約社員も含め非正規雇用の全労働者に占める割合は、1990年代後半以降一貫して増え続けている。これら非正規雇用は企業にとっては社会保障負担の軽減や、雇用の調整弁や単純業務のための安価な労働力としての活用という点で、人件費を大幅に削減することを可能にする。 したがって、労働者から見ると多様な就業形態を可能にするが、雇用の継続は1か月から最長でも1年程度までの短期しかない不安定な状態で、キャリアアップの機会に乏しいうえ、雇用保険や社会保険といった社会保障も正社員に比較して不十分であることが少なくなかった。 さらに、ほとんどの企業が賃金の支払い日を(労働基準法第24条第2項の規定により)「月1回払いのみ」としており、なおかつ「締め日から支払日までの日数が長い」ため、「既往の労働に対する賃金」を速やかに受け取ることができず、所得と貯蓄の低下に拍車をかけている(賃金を速やかに受け取れないことは、生存権の侵害のみならず、就労意欲(モチベーション)を低下させる要因にもなりうる)。 他方、1990年代の日本経済は長期停滞にあえぎ、リストラなどで職を失う労働者が続出した上、「就職氷河期」と呼ばれる世代は就職活動において正規雇用として職を得ることが困難となり、非正規の不安定な形で職に就くことが少なくなかった。日本の雇用慣行では新卒として正社員の職を得られなかった場合、その後に安定した職業に就くチャンスが少ないため、氷河期世代にはその後も長らく非正規雇用として働き続けている者も多い。 こうして、労働市場の流動化と経済の長期停滞といった要因が複合的に絡み合い、ワーキングプアに代表される低賃金労働者が増えていったと考えられる。 また、2018年4月から無期転換ルール(有期労働契約で通算5年を超えた労働者が期間の定めのない契約に転換できる)が本格的に始まるのを前に、企業から契約を打ち切られるという「雇い止め」が多発した。雇い止めによって職を失った人たちが労働組合へ相談するというケースが相次いでおり、ワーキングプア以前に仕事を失うといった問題が深刻化している。 このような流れは少しずつ進行したが、大きく注目されたきっかけはNHKによるドキュメンタリー番組(NHKスペシャル『ワーキングプア 働いても働いても豊かになれない』〈2006年7月23日〉)の放送である。
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