日本との二国間関係
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「アルゼンチンの歴史」の記事における「日本との二国間関係」の解説
1886年 - 初の日本人移民として、牧野金蔵がアルゼンチンに定住。日系アルゼンチン人第一号となる。 1898年2月 - 外交関係を樹立。 1901年 - 修好通商航海条約の批准。 1902年 -アルゼンチンに初の外交代表を派遣。 1903年 - 初の日本総領事館をアルゼンチンに開館。 1905年 - 日露戦争では「モレノ」、「リバダビア」の2隻の軍艦がそれぞれ「日進」、「春日」として日本海軍に売却された。また、観戦武官としてマヌエル・ドメック・ガルシア海軍大佐が2つの海戦に乗艦。 1908年 - ブラジルのサントス港を目指した笠戸丸移民の760人の内、160人がブエノスアイレスで下船。日本人のアルゼンチンへの第一次集団移住となる。 1918年 - 在アルゼンチン公使館、領事館開設。 1944年 - 第二次世界大戦により国交断絶。 1952年 - 講和条約により、二国間の国交復活。 1959年 - 岸信介首相アルゼンチン訪問。 1961年 - 民政移管後のフロンディシ大統領が経済界の一行と共に来日。両国首脳が「新友好通商航海条約」、「動物衛生協定」、「移住協定」に署名。 1966年 - 日亜経済合同委員会が創設され、第一回目の会合が東京で開催される。 1967年 - 昭和天皇、香淳皇后夫妻がアルゼンチンを公式訪問。 1970年~1977年 - 日本の歴代外務大臣がアルゼンチンを公式訪問。 1979年 - ホルヘ・ラファエル・ビデラ大統領が国賓として来日。両国首脳が「文化協定」、「技術協力協定」に署名。 1980年代-マルビナス戦争や累積債務問題等の政治的経済的混乱により、日本との関係は若干停滞気味となる。 1982年 - 園田直外務大臣がアルゼンチン訪問。 1986年 - ラウル・アルフォンシン大統領が国賓として来日。 1990年 - 即位の礼にカルロス・S・メネム大統領参列。 1990年代 - アルゼンチンの政治経済情勢が急速に好転したこともあり、二国間関係の緊密化が進む。 1992年 - 竹下登元首相アルゼンチン訪問。 1993年 - カルロス・S・メネム大統領が経済界の一行と共に来日。 1993年~1996年 - ドミンゴ・カバーロ経済大臣が数回来日。 1994年 - 河野洋平外務大臣がアルゼンチンを公式訪問。 1996年 - ギド・ディ・テラ外務大臣来日。 1997年 - 天皇、皇后夫妻が国賓としてアルゼンチンを訪問。 1998年 - 修好100周年。人物交流も活発化し両国で各種記念事業が実施された。カルロス・S・メネム大統領も来日した。 2001年 - アダルベルト・ロドリゲス・ジャバリーニ外相が公式来日。 2001年末期~ - 経済・金融危機による債務問題発生以来貿易・投資関係は停滞している。
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