日本との二国間関係とは? わかりやすく解説

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日本との二国間関係

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/13 19:22 UTC 版)

アルゼンチンの歴史」の記事における「日本との二国間関係」の解説

1886年 - 初の日本人移民として、牧野金蔵アルゼンチン定住日系アルゼンチン人第一号となる。 1898年2月 - 外交関係樹立1901年 - 修好通商航海条約批准1902年 -アルゼンチンに初の外交代表を派遣1903年 - 初の日本総領事館アルゼンチン開館1905年 - 日露戦争では「モレノ」、「リバダビア」の2隻の軍艦それぞれ日進」、「春日」として日本海軍売却された。また、観戦武官としてマヌエル・ドメック・ガルシア海軍大佐2つ海戦乗艦1908年 - ブラジルサントス港を目指し笠戸丸移民760人の内、160人がブエノスアイレス下船日本人アルゼンチンへの第一次集団移住となる。 1918年 - 在アルゼンチン公使館領事館開設1944年 - 第二次世界大戦により国交断絶1952年 - 講和条約により、二国間国交復活1959年 - 岸信介首相アルゼンチン訪問1961年 - 民政移管後のフロンディシ大統領経済界一行と共に来日両国首脳が「新友好通商航海条約」、「動物衛生協定」、「移住協定」に署名1966年 - 日亜経済合同委員会創設され第一回目の会合東京開催される1967年 - 昭和天皇香淳皇后夫妻アルゼンチン公式訪問1970年~1977年 - 日本歴代外務大臣アルゼンチン公式訪問1979年 - ホルヘ・ラファエル・ビデラ大統領国賓として来日両国首脳が「文化協定」、「技術協力協定」に署名1980年代-マルビナス戦争累積債務問題等の政治的経済的混乱により、日本との関係は若干停滞気味となる。 1982年 - 園田直外務大臣アルゼンチン訪問1986年 - ラウル・アルフォンシン大統領国賓として来日1990年 - 即位の礼カルロス・S・メネム大統領参列1990年代 - アルゼンチン政治経済情勢急速に好転したこともあり、二国間関係緊密化が進む。 1992年 - 竹下登元首相アルゼンチン訪問1993年 - カルロス・S・メネム大統領経済界一行と共に来日1993年~1996年 - ドミンゴ・カバーロ経済大臣数回来日1994年 - 河野洋平外務大臣アルゼンチン公式訪問1996年 - ギド・ディ・テラ外務大臣来日1997年 - 天皇皇后夫妻国賓としてアルゼンチン訪問1998年 - 修好100周年人物交流活発化両国各種記念事業実施された。カルロス・S・メネム大統領来日した2001年 - アダルベルト・ロドリゲス・ジャバリーニ外相が公式来日2001年末期~ - 経済・金融危機による債務問題発生以来貿易投資関係は停滞している。

※この「日本との二国間関係」の解説は、「アルゼンチンの歴史」の解説の一部です。
「日本との二国間関係」を含む「アルゼンチンの歴史」の記事については、「アルゼンチンの歴史」の概要を参照ください。

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