日本とのゆかり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/20 15:20 UTC 版)
「ジョルジュ・ムスタキ」の記事における「日本とのゆかり」の解説
日本には、1973年の「第2回東京音楽祭」のために初来日した。1976年には日本全国23ヶ所のコンサート・ツアーを成功させた。1995年には「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」の審査委員長を務め、映画祭の直前に起こった阪神・淡路大震災の被災者のために急きょ「阪神大震災チャリティーコンサート」を栗原小巻、あがた森魚らと開き、集まった義援金407,000円を被災地の兵庫県に贈った。生涯で通算八度来日している。 日本人アーティストへの曲提供では、桃井かおりの1984年のアルバムに収録された『愛のデラシネ』の作曲を手がけた。 ムスタキは日本(人)観として「(自分にとって)ヒロシマの敗者が彼らの伝統と精神性を放棄しつつ、勝者の価値観に同調しているといったくらいの漠然とした小国でしかなかった。ヴィクトリア王朝的な厳格さ、馬鹿丁寧にぺこぺこすること、常に自制心を失わないこと、能率のよさ、何が何でも時間を厳守すること、これらに対しては何の魅力も感じない。(略~しかし)冷静な微笑の裏には本物の親切がある」(『ムスタキ自伝 思い出の娘たち』)と書いている。
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