日別朝夕大御饌祭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 08:07 UTC 版)
神宮では豊受大御神(とようけのおおみかみ)が天照大御神(あまてらすおおみかみ)の御饌都神(みけつかみ)として鎮座して以来約1500年、外宮の御饌殿で一日に2度、朝と夕方に神饌を奉納する日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)、あるいは常典御饌(じょうてんみけ)とも呼ばれる神事が繰り返し行われてきた。日別朝夕大御饌祭では天照大御神と豊受大御神が向かい合った相殿の神の座と、別宮の神の座の合計6座が設けられ、神々が一堂に会して食事を召し上がるとされる。神事を執り行う神職は禰宜(ねぎ)、権禰宜(ごんねぎ)、宮掌(くじょう)が1名ずつと出仕が2名の合計5名。儀式は前日から斎館に篭り、精進潔斎に努め、翌朝5時から忌火屋殿で御火鑚具(みひきりぐ)で忌火を熾し、藤岡山の麓に鎮座する上御井神社で湧き水を汲み上げることから始まる。湧き水は宮掌と出仕が長い柄杓を使い、水面に自分の姿が映らないよう注意しながら汲み上げられる。上御井神社へ参向する時は宮掌を先頭に、帰りは湧き水を目通りに持った出仕が忌火屋殿まで先頭を歩く。 この日別朝夕大御饌祭で奉げられる神饌は季節や時間によって異なるが、強飯(こわいい、または御飯(おんいい)といい、炊くのではなく蒸した米)三盛、御塩、乾鰹、鯛、昆布、季節の果物、季節の野菜などがトクラベを敷いた土器の上に盛られ、それに加えて清酒三献、御水が折櫃に入れられたうえで、さらに辛櫃に納められ献供される。鯛は夏はカマスやスルメなどの干物に変わり、昆布の他にひじきやあらめが用いられる場合もある。土器にトクラベが敷かれるのは土器の無かった時代の名残で、1日に2度行われるのは古代の食習慣が1日2食であったことに由来するとされる。 こうして用意された神饌は春・夏は午前8時と午後4時、秋・冬は午前9時と午後3時に御饌殿へ奉げられる。時間になると白の斎服に身を包み、先頭を禰宜、最後尾には御鑰(みかぎ)を持った宮掌の順番に隊列を組み、祓所で御塩で身を清めてから御饌殿へと参進する。御饌殿へ着くと禰宜は宮掌から御鑰を受け取り、扉を開け神殿の中へ入り、まず天照大御神、次に豊受大御神、そして相殿神の御前へと膝行(しっこう)したまま神饌を献上する。まず檜の御箸が御箸台に置かれ、一品ずつ神饌を置き、すべてが置き終わると禰宜によって祝詞が奏上される。祝詞は外宮創祀の由来、皇室の安泰、国家の繁栄、五穀豊穣を奏上した後、八度拝とよばれる起立と拝礼を8回繰り返し八開手(やひらで)を打つ所作を行う。そして、食事が終わったと思われる頃合をみて再び膝行で神饌を下げ、退下する。こうして朝御饌、夕御饌それぞれ40分、調製を含めると約4時間ほどの儀式が、戦時中や台風による冠水を受けても、1500年途切れることなく続けられてきた。
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日別朝夕大御饌祭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 10:05 UTC 版)
日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)。毎日午前8時から午前9時までにかけての朝大御饌、午後3時から午後4時までにかけての夕大御饌の毎日2回、外宮御饌殿において御饌を供えて行う神事。常典御饌とも呼ばれる。豊受大神宮の斎館にて前日から潔斎していた権禰宜が、外宮の「忌火屋殿」において火錐具を用いて錐り出す「忌火」とよび、神聖とされる火を使用して、同じく前日から潔斎していた神職が調理した御飯(おんいい)(蒸飯)3盛、上御井神社の神水、御塩(みしお)、干鯛(季節により、スルメ・カマス・ムツ)、乾鰹、海藻、野菜、果物、清酒3献を、禰宜、権禰宜、宮掌各1名、出仕2名が「御饌殿」において、天照皇大神と豊受大御神と、天手力男神、万幡豊秋津姫命、相御伴神三座に奉る祭典。 神饌としての御塩を御塩殿神社から、外宮に運ぶ際に使う御塩道が定められており、また、御塩の豊受大神宮斎館への輸送のためだけに用いられる橋として「御塩橋」が外宮の宮域にある。 米は伊勢市内の「神宮神田」、野菜は伊勢市内の「神宮御園」で造られるなど、神宮の神饌は自給自足を旨としているだけでなく、祭具としての土器も多気郡明和町にある土器調製所で造られている。
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