日前宮と高大明神
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/10 09:44 UTC 版)
「日前国懸神宮と高大明神の用水相論」の記事における「日前宮と高大明神」の解説
本相論ではもう1点、和佐庄が日前宮に対抗する権威として高大明神を担いでいる事も注目される。日前宮は紀伊国一宮とされ、古代以来朝廷からの崇敬を受けた有力神社であるが、和佐庄は日前宮の鎮座地、つまり神宮領はそもそも高大明神が譲ったものであるとの由緒を掲げ、日前宮と高大明神が同等の神社であることを主張している。この由緒は同じく古代以来の崇敬を受け、同じく一宮とされる伊太祁󠄀曽神社のそれと酷似した内容であるが、併せて日前宮の神官が高大明神の神事を勤めるのが定めとされている一方で、和佐庄から同宮に対して何らかの勤めを果たしたことは未だかつてなく、それも本末関係を考えれば当然であるとも主張している。対する日前宮は、高大明神は境外に位置するが日前宮の末社であると主張し、和佐庄側の高大明神の日前宮に対する相論でもあるとの訴えを「(末社なので)その謂われ無し」と否定するとともに、和佐庄の給人が高大明神に関与すること自体を斥けている。上述したように幕府による裁許の結果を欠くためにこれも結論は不明であるが、日前宮が高大明神の祭祀に深く関わっていたことは事実だったようで、『紀伊国名所図会』や『紀伊続風土記』によれば、その関係は近世以前まで続いたという。
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