旅行ガイドブックの歴史
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「旅行ガイドブック」の記事における「旅行ガイドブックの歴史」の解説
旅行ガイドブックを、未知の地域へ向かうものへの情報提供手段ととらえるのであれば、その起源は人類の記録をつける習慣の発生までさかのぼることもできる。記録があるものではポセイドニオスが書いたガイドブックが最古になる。 そもそも交通機関が未発達であり、旅行は冒険・探検要素が多分に含まれたものだった。旅行を扱った文書の多くは、筆者の個人的体験や感想を述べた紀行文のスタイルが多く、創作された内容や誇張された情報も含まれていたものも多かった。 1815年にナポレオン戦争が終了し、多くのイギリス人がヨーロッパ大陸本土へ余暇として旅行するようになった。それまでグランドツアーとしてごく一部の貴族のものであったヨーロッパ大陸への旅行が、産業革命の後押しで登場した中産階級へと広まりを見せた。名所旧跡の教養的な記述に加え、交通機関やホテル・レストランなどの情報を盛り込んだ近代的な旅行ガイドブックが登場したのは、この頃であった。 地域別にシリーズ化された近代的な旅行ガイドブックは、ドイツ人のカール・ベデカーが『ベデカー』(Baedeker)として『ライン川案内』を1828年(1835年、1839年説もあり)に出版、イギリス人のジョン・マレーが1836年に『マレー』(Murray)として『大陸案内』を出版。この2つが始祖とされる。 1900年に入ると英語圏では『ベデカー』がシェアを伸ばした。フランスではアシェット社の『ギド・ブルー』、ミシュラン社の『ギド・ミシュラン』(ミシュラン・ガイド、Michelin Guide)などがある。『ギド・ミシュラン』は1900年に旅行の活発化によりミシュラン製の自動車タイヤの拡販を目論んで、無料で配られた観光パンフレットであった。一切の広告を排除してホテルやレストランの星数による格付けがなされたホテル・レストランガイドブックになった。通称赤ミシュランと呼ばれる。赤ミシュランの格付けは、今日においてもヨーロッパで最も権威ある評価の1つとされる。 第一次世界大戦後は、旅行ガイドブックの様相も変化した。まず『マレー』・『ベデカー』が衰退した。イギリスでは『ベデカー』の英語版の執筆・編集に携わっていたジェームズ・ミューアヘッド(James F Muirhead)を中心にイギリスで『ブルーガイド』が1918年に刊行し、シリーズ化。以後英語圏を中心に人気を博した。 アメリカでは『フォウダー』(Fodor's)が1936年に創刊した。またニューディール政策の一環として文筆家の失業対策であった連邦作家プロジェクト(FWP)により、アメリカ国内の旅行ガイドブックである『アメリカ・ガイド・シリーズ』(American Guide Series)が各州ごとのガイドブックを1935年から1943年にかけて刊行された。 第二次世界大戦後は、交通手段の発達により旅行の大衆化が急速に進んだ。旅行の教養的側面を重視した旧来のガイドブックから旅のハウツーを重視するガイドブックへと移行するようになった。1957年のアメリカ『フロマー』(Frommer's)の『1日10ドル、ヨーロッパ旅行』(Europe on $10 a Day)が代表的で、その後世界各地へのガイドへ広がった。 1973年にイギリス人トニー・ウィーラー(Tony Wheeler)の夫婦が自身のイギリスからアジア経由でオーストラリアまで旅した内容をまとめた『ロンリープラネット』(Lonely Planet)が出版された。以後、オーストラリアのロンリープラネット社のシリーズはバックパッカーなど個人で海外旅行を楽しむ人たちを中心に人気を集め、フランス語版、日本語版なども刊行した。2004年には英語圏でシェア25%のトップの座を獲得した。
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