新聞社説・海外
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 09:18 UTC 版)
事件に対する主要な新聞各紙の論調は、読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、がほぼ一様に、当日の中曽根康弘防衛庁長官や佐藤栄作首相のコメントを踏襲するような論調で、三島の行動を、狂気の暴走と捉え、反民主主義的な行動は断じて許されないという主旨のものであった。 アメリカのクリスチャン・サイエンス・モニターの社説は、「三島の自決を日本軍国主義復活のきざしとみなすことはむずかしい。それにもかかわらず、三島自決の意味はよく検討するに値するほど重大である」と論じ、イギリスのフィナンシャル・タイムズは、「たとえ気違いだろうと正気だろうと、彼(三島)の示した手本は、日本の少数の若者たちにとって、現在、将来を通じ、強い影響力を持つことになるだろう」とした。 ドイツのディ・ヴェルトは、「詩人精神の純粋さに殉じてハラキリを行う」と報じた。フランスのレクスプレスは、「憂うべき日本の現状を昔に戻せと唱えて割腹した」と報じ、ル・モンドは、「三島の自刃は偽善を告発するためのものである」と論じた。 オーストラリアのフィナンシャル・レビューは、「三島の死を、日本に多い超国家主義や暴力団と結びつけるのは、単に三島に対する誤解のみならず、近代日本に対する誤解でもある」として、「伝統的文化と近代社会の間にある構造的な相剋の中に、真の美を追求し、死にまで至った彼の悲劇は、彼自身の作品のように完璧な域にまで構成されている」と論じた。 ワシントンからは、「軍国主義復活の恐れ」、ロンドンからは「右翼を刺激することが心配」、パリからは「知名人の行動に驚き」といった打電だった。 ヘンリー・ミラーは、「三島は高度の知性に恵まれていた。その三島ともあろう人が、大衆の心を変えようと試みても無駄だということを認識していなかったのだろうか」と問いかけ、以下のように語った。 かつて大衆の意識変革に成功した人はひとりもいない。アレキサンドロス大王も、ナポレオンも、仏陀も、イエスも、ソクラテスも、マルキオンも、その他ぼくの知るかぎりだれひとりとして、それには成功しなかった。人類の大多数は惰眠を貪っている。あらゆる歴史を通じて眠ってきたし、おそらく原子爆弾が人類を全滅させるときにもまだ眠ったままだろう。(中略)彼らを目ざめさせることはできない。大衆にむかって、知的に、平和的に、美しく生きよと命じても、無駄に終るだけだ。 — ヘンリー・ミラー「特別寄稿」 ヘンリー・スコット=ストークスは、三島を「日本人のうちでは最も重要な人物」とし、それまで自民党の幹部たちが私的な場所でだけ意見交換していた国防問題・政治論争のすべてを、敢然として「公開の席に持ちだした」ことで注目に値するとして、なぜ、それが今まで日本の職業政治家たちに出来なかったのかと指摘した。 (日本は)国防の問題をトランプ遊びかポーカーの勝負をやっているかのように議論する国である――を、認識できる人はほとんどあるまい。(中略)外国人は日本で自由な選挙が行なわれ、それに過剰気味なくらいおびただしい世論調査と言論の自由があるという事実こそが、日本に民主主義のあることを物語っていると頭から信じこんでいる。三島は日本における基本的な政治論争に現実性が欠けていること、ならびに日本の民主主義原則の特殊性について、注意を喚起したのである。 — ヘンリー・スコット=ストークス「ミシマは偉大だったか」 エドワード・G・サイデンステッカーは、新聞記者らから「三島の行動が日本の軍国主義復活と関係あるか」と問われ、直感的に「ノー」と答えた理由を以下のようにコメントした。 たぶん、いつの日か、国が平和とか、国民総生産とか、そんなものすべてに飽きあきしたとき、彼は新しい国家意識の守護神と目されるだろう。いまになってわれわれは、彼が何をしようと志していたかを、きわめて早くからわれわれに告げていて、それを成し遂げたことを知ることができる。三島の生涯はある意味でシュバイツァー的生涯だった。 — エドワード・G・サイデンステッカー「時事評論」 ドナルド・キーンは、「私は佐藤首相が三島の行動を狂気と言ったのが間違いであることを知っている。それ(三島の行動)は論理的に構成された不可避のものであった。(中略)世界は大作家を失ったのである」と語った。
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