新聞社等スパイによる世論工作
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 14:32 UTC 版)
「ミトロヒン文書」の記事における「新聞社等スパイによる世論工作」の解説
ミトロヒン文書によると、『日本人は世界で最も熱心に新聞を読む国民性』とされており、『中央部はセンター日本社会党の機関誌で発表するよりも、主要新聞で発表する方がインパクトが大きいと考えていた』とされている。そのため、日本の大手主要新聞への諜報活動が世論工作に利用された。 「情報操作」、「偏向報道」、および「プロパガンダ」も参照 「日本の諜報情報の主要拠点である東京の駐在員が不在の1962年~67年の期間中、最も成果を上げたエージェントは、東京新聞のジャーナリスト、コードネーム[KOCHI] であった。彼は内閣や外務省のおそらく機密文書ではなかったが、相当上位のゴシップにアクセスできていた」 「ジャーナリストの[ROY]が書いた記事は、諜報情報の連絡において非常に貴重であった」とされ、新聞の紙面自体が諜報活動の伝達手段として使われていた。 また、「ROYは中国で諜報活動を行ったKHUNの採用に尽力した」とあり、メディア関係者の協力者を増やしていく様子が記述されている。 冷戦のさなかの1970年代には、KGBは日本の大手新聞社内部にも工作員を潜入させていたことが記されている。文書内で少なくとも5人は名前が挙がっている。 朝日新聞の社員、暗号名「BLYUM」 読売新聞の社員、暗号名「SEMYON」 産経新聞の社員、暗号名「KARL(またはKARLOV)」 東京新聞の社員、暗号名「FUDZIE」 日本の主要紙(社名不詳)の政治部の上席記者、暗号名「ODEKI」 中でも容共で知られる朝日新聞社の「BLYUM」については 「日本の最大手の新聞(実際は第2位)、朝日新聞にはKGBが大きな影響力を持っている」 としるされている。 「1972年の秋までには、東京の「LINE PR」(内部諜報組織)の駐在員は31人のエージェントを抱え、24件の秘密保持契約を締結していた。特に日本人には世界で最も熱心に新聞を読む国民性があり、KGBが偽の統計情報等を新聞に流すことにより、中央部はソビエトの政治的リーダーシップに対する印象を植え付けようとした。」 とあり、日本の主要メディアに数十人クラスの工作員を抱えていたことが記されている。 詳細は「レフチェンコ事件#エージェント」を参照 工作員となった新聞社員のミッションは『日本国民のソ連に対する国民意識を肯定化しよう』とするものであった。例えば、日本の漁船が拿捕され、人質が解放されるとき、それが明白に不当な拿捕であったのにもかかわらず朝日新聞は 「ソ連は本日、ソビエト領海違反の疑いで拘束された日本人漁師49人全員を解放する、と発表した」 と肯定的な報道をさせた、とされている。朝日新聞だけでなく保守系と目される産経新聞にもその工作は及んでいた。 「最も重要であったのは、保守系の日刊紙、産経新聞の編集局次長で顧問であった山根卓二(暗号名「KANT」)である。レフチェンコ氏によると、山根氏は巧みに反ソビエトや反中華人民共和国のナショナリズムに対して、親ソビエト思想を隠しながら、東京の駐在員に対して強い影響を与えるエージェントであった。」
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