文体と文学理論
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「ジェイムズ・ラッセル・ローウェル」の記事における「文体と文学理論」の解説
ジェイムズ・ラッセル・ローウェルの文学作品はその初期において、スウェーデンボルギアニズム、すなわちエマヌエル・スヴェーデンボリ(1688年-1772年)が設立した心霊主義を取り込んだキリスト教会派の影響を受けており、フランシス・ロングフェロー(詩人ヘンリー・ワーズワース・ロングフェローの妻)をして、「彼は昔から心霊を見る習慣があった」と言わしめたものだった。その詩は「内面の光」によって閃いたときに急速に作っていたが、順序立てて書くことはできなかった。詩人は預言者であるが、さらにその先に進み、宗教、自然、詩、および社会改革を結びつけるという19世紀に共通して信じられたことを信奉していた。エバート・オーガスタス・ダイキンク他が、ニューヨーク市を本拠にする運動であるヤング・アメリカ運動の一部としてローウェルを迎え入れた。彼らと公式に仲間になったわけではなかったが、作家は人間の道徳的性格に固有の洞察力があり、その審美的機能と共に文学活動に対する義務を負っているという考え方など、その思想のいくつかを共有した。ヤング・アメリカのメンバーを含め同時代の者多くとは異なり、新しい国民文学の創設を唱えなかった。その代わりに「自然の」文学、国や階級や人種に捉われないものを求め、「1つの大きな兄弟愛の期待を遠ざけてしまう」ような地方主義に対して警告した。隣人であるロングフェローとは、「誰であれ最も普遍的な者は最も愛国的でもある」という考えに同意した。ローウェルは次の様に語っていた。 私はこの時代の詩人は誰も(急進的な)傾向に身を任せなければ、良いことを書くことができないと思う。...詩の強さは、私の心の中で、一行の本質に纏まるのであり、全ての人の心に浮いている曖昧な哲学であり、それで持ち運びでき、利用でき、手に収まるものである。少なくとも如何なる詩もその作者を尊敬させるものは無かった。それは何らかの方法で真の哲学を運んではいない。 ローウェルは言語学者として、アメリカ方言学会の設立者の1人となった。これに関する興味についてその著作、特に『ビッグロー・ペーパーズ』に書いており、ヤンキー方言の酷く文法によらない音声表記を提示している。この方言を使うことで、普通の人の経験に近づき、よりフォーマルなものに反抗し、彼が考えたように文学におけるアメリカ人の不自然な表現となった。『ビッグロー・ペーパーズ』の序文にも書いているとおり、「アメリカの作家あるいは話者で、母国で当時普通にあった直接さ、正確さ、力強さを伴って母語を使った者はほとんどいない」としていた。この方言に関する痛切な提示は、ユーモアがあるように意図されてはいても、アメリカ文学においてはパイオニア的作品だった。例えば、ローウェルの登場人物ホセア・ビッグローは次のように歌っていた。 Ef you take a sword an' dror it, An go stick a feller thru, Guv'ment aint to answer to it, God'll send the bill to you. もし貴方が剣を取ってそれを抜くなら そして仲間を突き通すなら 政府はそれに答えないだろう 神が貴方に請求書を送ってくる ローウェルは炉辺詩人の1人と見なされている。これは1840年代ニューイングランドの作家集団であり、全てが全国にそこそこ聞こえ、その作品が家庭の炉辺で声高く読み上げられることが多かった。ローウェルの他にこの集団の主要な作家としては、ロングフェロー、ホームズ、ジョン・グリーンリーフ・ウィッティア、ウィリアム・カレン・ブライアントがいた。
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