文体と技法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 13:40 UTC 版)
『ゴリオ爺さん』におけるバルザックの文体は、アメリカの小説家ジェイムズ・フェニモア・クーパーとスコットランドの作家ウォルター・スコットに影響されている。バルザックは、クーパーのアメリカ先住民の描写の中に、文明化の努力にもかかわらず残っている人間の野蛮性を見ている。1835年第2版の序文でバルザックはゴリオについて、飢えが蔓延する時代にヴァーミセリを売って財を成したゴリオは「小麦取引をするイリノイ族」、「穀物市場のヒューロン族」だという。また、ヴォートランにパリは「20の蛮族がひしめき合う新世界の森のようだ」と語らせており、これもまたクーパーの影響である。 スコットもまたバルザックに深く影響を与えており、ことに実際の史実を小説の背景として使う点においてそれがいえる。『ゴリオ爺さん』において、歴史が中心にあるわけではないが、ナポレオン後の時代ということが重要な設定になっている。バルザックの細心なディテールの使用という点もスコットの影響を受けている。1842年の『人間喜劇』総序においてバルザックはスコットを「現代のトルバドール(抒情詩人)」であり「文学に過去の精神を吹き込んで生きたものにした」と称えている。しかし同時に彼はこのスコットランドの作家を、歴史をロマン主義的にしか解釈しなかったとして批判し、自己の作品では人間の本質をより総合的な立場から捉えることでスコットから訣別しようとしている。 この小説が「ミステリー」と呼ばれることがままあるが、実際には推理小説でも探偵物でもない。むしろ最も重要な謎は苦しみの源泉であり奇矯な振る舞いの動機である。登場人物たちは、断片的に登場しては彼らが何者なのか、小さな手がかりを残してすぐにいなくなる。例えばヴォートランは、何度も物語中にさっと現れ、ラスティニャックに忠告を提供してみたり、ゴリオをからかってみたり、召使のクリストフに、夜中に自分を家に入れるように賂をやってみたり、というようなことが悪党の首領だと明かされる前に描かれる。こういった手法で人物を舞台に出入りさせるのが、『人間喜劇』を通してのバルザックによる登場人物の起用法なのである。 『ゴリオ爺さん』はまた、純粋な青年がこの世の生き方を学んでいく教養小説とも理解されている。ラスティニャックはパリ社会の真実と成功の秘訣を、ヴォートランやボーセアン夫人やゴリオ、そのほかの人々に教えられていく。はじめはごくありふれた人間であり、彼はこの社会のきらびやかな表面の下に潜むぞっとするような現実からこっぴどい目にあう。しかし最後にはそれを我が物とするのである。彼は当初の目標である法律の勉強をそっちのけで金と女性を、出世のための道具として追求していく。ある意味でこれはバルザック自身の社会勉強を反映している。彼も三年間法律を学んだあげく、それを嫌悪するようになっていたのである。
※この「文体と技法」の解説は、「ゴリオ爺さん」の解説の一部です。
「文体と技法」を含む「ゴリオ爺さん」の記事については、「ゴリオ爺さん」の概要を参照ください。
- 文体と技法のページへのリンク