文体と構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/15 21:10 UTC 版)
『夜長姫と耳男』は昔話、童話寓話などを思わせる説話体の作品であり、物語は一貫して耳男(「オレ」)の一人称の語りによって進行する。その昔話風の印象は、幾つかの異なった話を合体させたかのような小説全体の趣、耳をそぎ落とされたり、蛇の血を飲んだりといった血なまぐさい素材、それに青笠、古釜、馬耳、夜長といった、生活の中からとられた登場人物の名称などによっても深められている。安吾の説話体の小説としてはほかに『桜の森の満開の下』(1947年)、『紫大納言』(1941年)が知られており、この3作はいずれも一組の男女を中心に扱っていること、男から女へ向かう意識のみが描かれ、その逆は描かれないこと、男が現実の住人であるのに対し女は「異界」の存在であるなど共通点が多い。また『夜長姫と耳男』には、耳を切り取られること、像をつくること、病の流行など、物語の諸要件が2度ずつ繰り返されるという構造も見出せる。 『桜の森の満開の下』に関しては、高貴で残酷な女と、そのために命をすり減らす下賎な男という図式においても共通している。このような話型は『タンホイザー』のような西洋の説話文学や、泉鏡花の『高野聖』、谷崎潤一郎の諸作品にも見られると七北数人は指摘している。また、3人の匠が腕を競い合う本作の前半部の物語については、かぐや姫伝説(『竹取物語』)のパロディになっているという指摘もあり、夜長姫もかぐや姫と同様、生まれながらにして光輝いたとされ、多くの男性のあこがれの的として描かれている。3人の匠が3年かけて腕を競うというのは、『竹取物語』において、3寸のかぐや姫が3月で成人し、3日の酒宴を執り行なうというように、3がモチーフとして頻出する「三の法則」と合致すると鬼頭七美は考察している。 奥野健男は『坂口安吾』(1976年)において、無邪気さと残酷さを併せ持つ夜長姫のイメージが『木々の精、谷の精』(1939年)、『篠笹の蔭の顔』(1940年)、『露の答』(1945年)に描かれた女性像に連なるものとしている。浅子逸男は『木々の精、谷の精』の主要人物3人の配置が、『夜長姫と耳男』の耳男、夜長姫、江奈古のそれに類似していることを指摘し、『木々の精、谷の精』には、語り手の男性・修吉と二人の女性、妙(たえ)と葛子(かつらこ)が登場するが、修吉は「古(いにしえ)の希臘(ギリシャ)の女」のような妙の美しさを認めながらも、彼が惹かれるのは天真爛漫で非現実的な美しさをもつ葛子のほうであり、それは耳男が江奈古には惹かれず、夜長姫に心を動かされるのと同様だとし、『夜長姫と耳男』の最終部で耳男が抱く、〈このヒメを殺さなければ、チャチな人間世界は持たないのだ〉という考えもまた、葛子を救うためには彼女を殺すか死なすかしなければならないという、修吉の想念に原型が見られるとしつつ、ただし夜長姫には葛子が持っているような、いまにもこわれてしまいそうな脆さはないと解説している。
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