文体(様式)における蒙昧主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 21:37 UTC 版)
「蒙昧主義」の記事における「文体(様式)における蒙昧主義」の解説
19世紀から20世紀にかけて「蒙昧主義」は、抽象的で理解の困難な文体(様式)をあらわす論争的な言葉としても使われ始める。 近年の徳倫理学の議論では、アリストテレスのニコマコス倫理学が倫理的蒙昧主義として論難されている。Lisa van Alstyneは、アリストテレスの技術的・哲学的な語彙とその文体が、文化的エリートの教育に限定していることを指摘している。 近代以降の哲学で強い影響力を持ったヘーゲルは、マルクスやショーペンハウアー、また分析哲学、論理実証主義者のエイヤーやラッセル、ポパーから蒙昧主義として批判された。そのうちエイヤーを含めた論理実証主義者は、ヘーゲルをはじめとする形而上学者たちの考えている問題や命題は擬似問題だったり、語を不適切に組み合わせた検証が不可能な命題であるためにそれが真であるための条件が分からず(つまりそれが正しい場合と間違っている場合とが判別できない)、それらの命題には何の認知的内容もない、即ち無意味であるとした。しかしヘーゲル自身も、自分の文体への批判に応答して、論考「誰が抽象的に考えているか」において、「哲学的な用語を使うことが蒙昧主義なのではない、蒙昧主義とは、素人が与えられた所与の概念を文脈ぬきで使用することだ」と答えている。 マルクスは『聖家族』『ドイツ・イデオロギー』『哲学の貧困』といった著作において、ドイツ観念論やフランス哲学における蒙昧主義を批判している。マルクスの批判はのちルカーチやハーバーマスらに継承された。一方、マルクス主義の理論家に対しても、ハイエクやポパーらはおなじく蒙昧主義として批判している。ハイエクらはたとえば「階級」という集合的な実体概念を蒙昧主義的な概念としてしりぞけている。 またウィトゲンシュタインの「論理哲学論考」における論証方法に対して、オーストリアの数学者フリードリヒ・ワイスマン(ドイツ語版)は、「完全なる蒙昧主義」として批判した。このワイスマンの批判はのちにアーネスト・ゲルナーに引き継がれ、展開された。Frank Cioffiはウィトゲンシュタインの文体には、「限定的な蒙昧主義」「方法的蒙昧主義」「感性的蒙昧主義」などの複数の蒙昧主義の型があるという。 ハイデガーや、その継承者であるレヴィナスやジャック・デリダらに対しては、分析哲学やフランクフルト学派などから蒙昧主義と批判が行われた。ラッセルはハイデガー哲学に対して「極端に蒙昧である」としている。 デリダもまたしばしば蒙昧主義として批判される。ルネ・トムやクワイン、ジョン・サール、ノーム・チョムスキーらがそのような批判を加えた。リチャード・ローティはそうしたデリダへの批判を包摂しながら、デリダが意図的に伝統的な哲学の枠組みや概念を使用しようとしないことで、ハイデガー的なノスタルジアに陥らずに、プルーストのようにまったく新しい領域を切り開いたとした。またデリダ自身も批判する際に、蒙昧主義という用語を使用している。 ほかに、アラン・ソーカルは『知の欺瞞』においてジャック・ラカンやジル・ドゥルーズといったフランス現代思想の思想家や哲学者たちが衒学のために必要もないのに数式や数学的概念をいい加減に用い、記述を分かりやすくするどころか曖昧で難解にして無意味な言説に思想が有るかのようにレトリックを駆使しているとの批判を加えた。
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