改革派のイメージ
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22回の優勝実績を誇る貴乃花は、協会内では絶対的な尊敬と支持を集めていた。朝青龍・白鵬の土俵上の振る舞いが懸念されており、貴乃花を支持する親方衆が貴乃花に求めたのは「土俵改革」であった。また、2010年に二所ノ関一門を割って理事選に出馬し当選した「貴の乱」以来、貴乃花はマスコミに改革派として報道されている。 しかし、貴乃花本人は理事当選以来「私が理事になることで何か改革をしようとしていると受け止められています。でもそれは、ちょっとニュアンスが違うんですよ。改革ではなくて、相撲を通じて古来脈々と受け継がれてきた日本文化の美学を後世に伝えていきたいんです」と発言している。自らを「毘沙門天の生まれ変わり」と称し、その精神論は極右思想にも通じる極端さもあった。かつての後援者であった高野山真言宗僧侶の法主の池口恵観に送ったメールでは「国家安泰を目指す角界でなくてはならず “角道の精華” 陛下のお言葉をこの胸に国体を担う団体として組織の役割を明確にして参ります」としている。 「伝統」を尊び、角界の緩んだ部分を元に戻そうとの考えであり、むしろ保守派の筆頭であったことが指摘されている。ただ、それを訴えるやり方がマスコミを通じてのものであったことで不信を招いたという見方も存在する。 時津風部屋力士暴行死事件以降、角界に不祥事が相次いだため、協会がガバナンスを強化し部屋の管理を強める動きとなった。そのため、2014年から協会と親方は人材育成業務委託契約を結ぶようになった。しかし貴乃花は「師弟関係を何より重んじるのが相撲部屋」という角界のしきたりに従い、「協会と力士」との直接の契約関係を拒み続け、2017年1月まで誓約書を提出していなかった。 貴乃花は理事会でほとんど発言することはなかった。2016年理事長選に出馬したが当選できず、その後は意見を求められても一切口を開かなかったという。後援会やタニマチをやめてサポーター制とすることや、力士の年俸制といった改革案を示したとされているが、理事を務めた8年の間に具体化のためのプランを示すことは無かった。貴乃花部屋は11代二子山の後援者がいる部屋後援会を解散してサポーター制度を導入したが、各地の有力者である大口の後援者が離れたことは新弟子の減少に直結し、小口のスポンサーだけでは部屋の運営資金を賄うことができなかった。そのため貴乃花は一門の収入をシェアするシステムを提案したが、反対を受け実現しなかった。2015年には貴乃花一門後援会が発足したが「実際は貴乃花部屋の後援会ではないか」という批判の声もあったという。 大阪場所の宿舎の提供や車の手配・食事の提供などを継続してきた辻本公俊は、協会からの助成金のみでは部屋運営は厳しかったことを明かし、講演活動で頻繁に部屋をあけていたおかみの行動について「景子さんにしたら『自分が働くことで、少しでも運営資金の余裕ができたら』という気持ちがあったはず。そのおかげで、親方も堂々と協会と勝負してこられたんです」と話している。 以上のようなことから、相撲協会の非や改革への熱意を述べても伝わらず、協会内に支持を伸ばすことが出来なかった。 2017年に日馬富士が起こした暴行事件についての対応では改革派・内部告発者として社会的評価をされたものの、2018年3月に支度部屋での貴公俊の付け人暴行を「同部屋力士のこととして」処理し貴公俊を庇ったことで、結局は改革派キャラクターのイメージ棄損を招いてしまった。
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