捕手復帰、そして現役引退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 00:21 UTC 版)
「阿部慎之助」の記事における「捕手復帰、そして現役引退」の解説
2019年は監督に復帰した原辰徳と協議し、再び捕手に復帰することを決意した。小林誠司、宇佐見真吾、大城卓三、そして埼玉西武ライオンズからFAで新加入した炭谷銀仁朗との正捕手争いとなった。しかし、キャンプ中に度重なる怪我に悩まされて、捕手は宇佐見を除いて3人体制となり、阿部は代打の切り札として開幕一軍入りした。 6月1日の中日戦で田島慎二から本塁打を打ち、史上19人目となる通算400本塁打を達成した。巨人での通算400本塁打達成は王貞治・長嶋茂雄に次ぐ3人目であり、巨人の捕手では史上初の達成となった。また、捕手の通算400本塁打達成は野村克也・田淵幸一に次いで史上3人目だった。捕手で1666試合出場しており、捕手で通算1000試合出場と通算2000本安打を達成しての通算400本塁打は野村以来2人目だった。また、本塁打王なしでの通算400本塁打は史上5人目であった。6月9日のロッテ戦で田中靖洋から本塁打を打ち、通算229人の投手から本塁打を記録というNPB新記録を樹立した。6月13日の西武戦で本塁打を打ち、通算230人の投手から本塁打を記録し、記録を更新。交流戦での通算本塁打数をセ・リーグ初となる60本塁打とした。7回には粟津凱士から二塁打を打ち、史上42人目(球団の生え抜き選手では川上哲治、長嶋、王に次ぎ4人目)の通算350二塁打を達成した。捕手として400本塁打・350二塁打を達成した選手は野村克也以来、史上2人目だった。セ・リーグでは史上初の快挙だった。 その後は小林や大城がスタメンマスクで起用され続けたことで阿部は前年までと同様に代打や一塁手でのスタメン起用に終始し、捕手復帰を目指したシーズンながら結局後述の引退記念試合まで一度もマスクをかぶる機会はなく、自身の今後について原とも協議した結果、2019年限りで現役を引退することを決断。9月23日に明治神宮野球場で行われたヤクルト戦終了後のミーティングでチームメイトに涙ながらに引退を報告する様子が巨人軍公式のTwitterとYouTubeチャンネルで公開された。9月25日には引退会見が行われた。 9月27日の本拠地最終戦(DeNA戦)で「ありがとう慎之助」と銘された引退記念試合が行われ、2015年5月31日の楽天戦以来1580日ぶりに「4番・捕手」として先発出場した(捕手での出場自体は2015年6月6日のソフトバンク戦以来1574日ぶり)。初回は引退会見で自らもう一度球を受けたいと名前を挙げ、来日初先発となったスコット・マシソンを好リードし、2回は救援登板した中央大学の後輩でもある澤村と2012年の日本シリーズにおける場面を再現するやりとりを見せてマウンドで握手を交わしたあと、大城卓三と入れ替わる形で一塁手の守備に就いた。この試合で4回裏に中川虎大から公式戦最後の安打(通算2132安打目)となる通算406号本塁打を右翼席へ叩き込み、8回の守備で山本泰寛と交代しベンチへ退いた。9月28日のヤクルト戦(明治神宮野球場)がシーズン最終戦及び公式戦最後の試合となり、代打で出場も申告敬遠され、中央大学の後輩でもある鍬原拓也を代走に送られた。これについては「俺らしい。史上初じゃない? 球史に残る偉大な記録じゃないかな」とコメントした。現役最終年となったこの年は打率も3割近くOPSも.892と高水準だったが、序盤は代打メインでスタメン出場が増えたのが後半戦以降ということもあり打数は少なく、キャリアで唯一本塁打は一桁に留まった。 日本シリーズでは全4試合(1 - 3戦目は5番打者として先発)に出場し、初戦の第1打席では千賀滉大から令和の日本シリーズ初本塁打・初得点となるソロ本塁打を打ったが、チームはソフトバンクに4連敗を喫し敗退。プロ最終打席はセカンドゴロ。第4戦終了後に対戦相手であるソフトバンクの選手たちによって背番号と同じ10回胴上げされ、19年間の現役生活を終えた。 11月1日、任意引退公示された。
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