戦闘の概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 01:40 UTC 版)
「ガンダムネットワークオペレーション」の記事における「戦闘の概要」の解説
戦術級・ターン制だが、1つのターンで敵・味方の区別なく、基本的に「ユニットの先制値 + 搭乗パイロットの先制値」の合計が最も高いユニットから行動できる。敵の戦艦か、それ以外のユニットを全て撃破すると勝利となる。全10ターンだが、10ターン以内に決着が付かないと、判定により勝敗が決まる。また、上述のようにユニットはユーザーの出したおおまかな作戦指示により自動的に行動し、細かい行動の指示を出すことはできない。戦闘中の指示の変更も不可能である。 攻撃時の命中判定は、まず攻撃・守備両者の能力などから命中確率がパーセントで算出・表示され、それに従って行われる。基本的に命中確率は97パーセントから3パーセントである(ニュータイプ補正により100パーセントを超えることがある)。 戦闘終了後は部隊の被害程度により「整備値(REPAIR)」が減少、これが最大値に自動回復するまで戦闘には参加できない。この整備値システムは、撃破されたり被害を受けたユニットが修理・整備され、再び戦闘に参加できる状態をシミュレートしている。このため、たとえ撃破されてもユニットやパイロットが失われることは無い。
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戦闘の概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/05 05:15 UTC 版)
「カレー包囲戦 (1940年)」の記事における「戦闘の概要」の解説
5月21日にアラスの戦いで英仏の反撃があった後、ブローニュ、カレー、ダンケルクを攻略するため海峡海岸を北に突進しようと考えていた第19装甲軍団長ハインツ・グデーリアンの抗議にもかかわらず、ドイツ軍部隊は5月22日に反撃再開に抵抗する準備を整えるべくその場に足止めとなった。一部の第19装甲軍団による攻撃は、5月21-22日の夜0時40分まで許可されなかった。 ドイツ第10装甲師団がカレー攻撃の準備を整えるまでに、イギリスの第30歩兵旅団と第3王立戦車連隊が港内のフランス軍とイギリス軍を補強した。5月22日、イギリス軍は町の外に障害物を設置し、フランスの後衛隊はドイツの装甲部隊と攻防戦を繰り広げ、カレーに向かって進軍した。イギリス軍の戦車と歩兵はブローニュ南方を補強するよう命じられていたが、手遅れだった。その後、彼らはダンケルクへの食料輸送隊を護衛する命令を受けたが、ドイツ軍により道路封鎖されていることが判明した。イギリス軍は5月23日に古いカレーの壁(1670年代に建造)まで後退しはじめ、5月24日に包囲戦が始まった。第10装甲師団による攻撃は巨額の戦費を投じた失策で、夕方までにドイツ軍は戦車の約半分が大破されて歩兵の3分の1が死傷したと報告した。ドイツの攻撃にはドイツ空軍 (国防軍)による支援がなされ、一方で連合国側の防衛軍は海軍による物資提供の援助を受けて、港周辺で負傷者の退避とドイツ軍を標的とする爆撃を行った。 5月24-25日の夜、防衛軍は南部の要塞から旧市街および城塞を援護する戦線への退却を余儀なくされた。この短い戦線に対する翌日の攻撃は撃退された。ドイツ軍は駐屯部隊に降伏するよう説得を幾度か試みたが、港北側のフランス軍司令官によって撤退が禁止されていたこともあり、ロンドンからの抵抗せよという命令を受け入れた。5月26日早朝のドイツ軍による追撃は失敗し、そのドイツ司令官には14時までにカレーを占領できなければ攻撃隊は後退し、町はドイツ空軍によって絨毯爆撃を実施するとの最終期限が与えられた。午後早々に英仏の防衛隊は崩壊し始め、フランスの司令官レイモン・ル・テリエが降伏したことで、16時に「全員が自分自身のために(行動せよ)」との命令が防衛隊に下った。
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