戦闘の本格化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 21:26 UTC 版)
「バトル・オブ・ブリテン」の記事における「戦闘の本格化」の解説
7月10日の朝、偵察機を護衛するドイツ戦闘機Bf 109Eと、これを迎撃に向かったイギリス戦闘機スピットファイアとの空戦がバトル・オブ・ブリテンの始まりと言われている。同日の午後にはドーバー海峡付近を航行するイギリスの船団を巡って空戦が行われた。翌11日にドイツ空軍の攻撃隊が30から50機ほどでイギリス南東部の港湾に襲来し、12日にはイギリス海峡を航行する船団を攻撃した。 降伏勧告に近い和平案に対し回答を伸ばすことでイギリスは時間を稼いだ。その間、イギリス特有の悪天候で、港湾や船団へのドイツ空軍の攻撃は低調に終わった。しかし、7月16日にヒトラーはイギリス本土上陸作戦の準備を命じ、22日に行われたイギリスの国会演説で和平案が拒否されると、ドイツ空軍は海上封鎖に本腰を入れ、25日のイギリス海軍駆逐艦の護衛する輸送船団への攻撃では、10隻近い艦船が被害を受け、イギリスは夜間を除いて船団の海峡通行を禁止した。 ドイツ空軍の艦船攻撃は戦闘機と爆撃機のみで行われ、爆撃機を改修して航空魚雷を搭載させることはあっても本格的な雷撃機は保有していなかった。連日のようにイギリスの船団が攻撃を受けていたにも拘らず比較的少ない被害で済んだのは、ドイツ空軍が雷撃機の開発を怠っていたことに起因するという見方もある。一方でイギリス空軍は防空レーダー網であるダウディング・システムをフルに活用して港湾の上空で迎撃し、基本的に待ち伏せをした。実際、ドイツ空軍と英空軍の7月中に行われた空戦の損失割合は概ね2対1で、ドイツ空軍には爆撃機や偵察機が多数含まれたが、英空軍の戦闘機軍団は善戦した。
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