13日 - 17日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 14:39 UTC 版)
「国吉の丘陵地帯における戦闘」の記事における「13日 - 17日」の解説
13日はアメリカ側の2個連隊に140人の死傷者が出たとされる。また多数の航空機による物資投下もなされたが、前述のように効果的ではなく受け取ることが困難であった。 米側戦車は戦闘と後送のために、前線と後衛陣地を行き来し攻撃と輸送に明け暮れた。対する日本側は一式機動四十七粍速射砲や野砲などで激しく応戦、17日までに嘉数の戦いと同じく、多数の戦車を破壊することに成功している。米側は日本側を掃討するのに火炎放射戦車を投入したが、この速射砲攻撃のためにうまくいかず記録によれば5日間で21両を破壊されたという。なお、参考資料には嘉数のような自爆戦の記述はない。
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