愛染堂とは? わかりやすく解説

願成院本堂(愛染堂)

名称: 願成院本堂(愛染堂)
ふりがな がんじょういんほんどうあいぜんどう)
名称(棟):
名称(ふりがな):
番号 2210
種別1: 近世以前寺院
国宝重文区分 重要文化財
指定年月日 1988.12.19(昭和63.12.19)
員数(数): 1
員数(単位):
代表都道府県 大分県
都道府県 大分県竹田市大字竹田
所有者名:
指定基準
管理団体名:
管理団体住所
管理団体指定年月日
構造形式 桁行三間梁間三間一重宝形造本瓦葺
時代区分 江戸前期
年代 寛永12(1635)
解説文: この建物は、竹田市街地の西側八幡山中腹建ち、愛染堂として親しまれている。
 宝形造の方三間比較小規模な仏堂であるが、組物禅宗様三手先、軒を扇垂木とする本格的手法になる。また、組物一部邪鬼鬼面彫刻用いるなど、細部特色がみられ、構造上にかけないという珍しい方法によっている。内部小壁などには極彩色天人像や文様描き堂内荘厳している。 この建物は、構造細部などに特徴ある手法みられる江戸時代前期建築として注目される
重要文化財のほかの用語一覧
近世以前(寺院):  青蓮寺阿弥陀堂  革秀寺本堂  鞆淵八幡神社大日堂  願成院本堂  願泉寺  願興寺本堂  飯盛寺本堂

愛染堂

読み方:アイゼンドウ(aizendou)

正称 勝鬘院

宗派 和宗

所在 大阪府大阪市天王寺区

本尊 愛染明王大勝金剛

寺院名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

愛染堂

作者石和鷹

収載図書残夢
出版社河出書房新社
刊行年月1992.7


勝鬘院

(愛染堂 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/03 23:56 UTC 版)

勝鬘院


勝鬘院金堂(愛染堂)

所在地 大阪府大阪市天王寺区夕陽ヶ丘町5-36
位置 北緯34度39分25.6秒 東経135度30分46.5秒 / 北緯34.657111度 東経135.512917度 / 34.657111; 135.512917座標: 北緯34度39分25.6秒 東経135度30分46.5秒 / 北緯34.657111度 東経135.512917度 / 34.657111; 135.512917
山号 荒陵山
宗派 和宗
寺格 四天王寺別院
本尊 愛染明王
創建年 伝・推古天皇元年(593年
開基 伝・聖徳太子
別称 愛染堂、愛染さん
札所等 西国愛染十七霊場第1番
聖徳太子霊跡第29番
文化財 多宝塔(重要文化財
金堂(府指定有形文化財
木造大日大勝金剛坐像(市指定有形文化財)
法人番号 3120005001144
テンプレートを表示
多宝塔(重要文化財)

勝鬘院(しょうまんいん)は、大阪市天王寺区にある和宗寺院山号は荒陵山。本尊愛染明王。愛染堂とも呼ばれる。四天王寺別院。西国愛染十七霊場第1番札所。真言密教勝鬘流根本道場。多宝塔は大阪市内最古の木造建造物である。

歴史

寺伝によれば、この寺は聖徳太子が開いた四天王寺にある敬田院、施薬院、療病院、悲田院のうちの施薬院に始まると伝えられる。この施薬院の本堂に勝鬘夫人の像が祀られており、また聖徳太子が勝鬘経を講ぜられていたことから施薬院は勝鬘院とも呼ばれるようになっていった。

平安時代以降は金堂の本尊として愛染明王が祀られるようになると、勝鬘院は愛染堂とも呼ばれるようになった。

鎌倉時代には鎌倉幕府5代執権北条時頼から寺領を寄進されたという。13世紀末には忍性によって真言院が創建されている。

元亀元年(1570年)から天正8年(1580年)まで戦われた織田信長大坂本願寺による石山合戦によって伽藍が焼失するが、慶長2年(1597年)に豊臣秀吉により伽藍が復興され多宝塔が再建される。多宝塔は大阪市内最古の木造建造物である。

慶長20年(1615年)の大坂夏の陣によって再び戦火に遭うが、元和4年(1618年)に江戸幕府将軍徳川秀忠によって金堂が再建される。

太平洋戦争中の1945年昭和20年)3月13日・14日に行われた第1回大阪大空襲によって、当院西側の大江神社や東側の四天王寺がほぼ全焼してしまう被害を受けたが、当院は被害を免れた。

境内

文化財

重要文化財

  • 多宝塔

大阪府指定有形文化財

  • 金堂

大阪市指定有形文化財

  • 木造大日大勝金剛坐像 - 室町時代。多宝塔本尊。豊臣秀吉の奉納。

大阪市指定無形民俗文化財

  • 勝鬘院の愛染まつり

愛染まつり

6月30日から7月2日にかけて勝鬘愛染会(愛染祭)が行われる[1]

「愛染まつり」は、大阪の三大夏祭り(天神祭住吉祭)の一つとして知られる。本尊の開帳や縁起物の「花守り」の授与などが行われる。例年、約20万人の参拝客で賑わう。「大阪の夏祭り」の皮切りとも言え、大阪の風物詩の一つでもある。

2018年平成30年)は「愛染まつり」の規模が縮小された。本尊の開帳・授与品の授与など、寺院内で行う宗教行事については例年通りであったが、露店の出店、愛染娘の募集・宝恵駕籠の行列などは中止された。

勝鬘院の今回の措置は、宗教行事である「祭り」を開催する趣旨を再確認するためであるとのことであった。また、以前から、騒音・若者のバイクの暴走、違法駐輪・ゴミのポイ捨て、立ち小便を行うなどの迷惑行為があり、近隣住民から、勝鬘院へ苦情が相次ぎ、これ以上、主催者側では対応できないと判断した。

今後の「愛染まつり」については、勝鬘院が近隣住民など、関係者と話し合いを重ねて、愛染娘の募集・露店の出店・宝恵駕籠の行列などの途絶えた行事・催し物・慣習を復活させるかの可否を決める予定である。

前後の札所

西国愛染十七霊場
1 勝鬘院 - 2 東光寺(門戸厄神)
聖徳太子霊跡
28 斑鳩寺 - 29 勝鬘院 - 30 瓦屋寺

所在地

  • 大阪市天王寺区夕陽ヶ丘町5-36

脚注

  1. ^ 「年中行事事典」p,1, 1958年(昭和33年)5月23日初版発行 西角井正慶編 東京堂出版

関連項目

外部リンク


愛染堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 22:23 UTC 版)

中禅寺 (日光市)」の記事における「愛染堂」の解説

本堂前に建つ小さな堂で、愛染明王像安置映画愛染かつら』のロケ地として有名になり、縁結びご利益があるとして信仰集めている。

※この「愛染堂」の解説は、「中禅寺 (日光市)」の解説の一部です。
「愛染堂」を含む「中禅寺 (日光市)」の記事については、「中禅寺 (日光市)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「愛染堂」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「愛染堂」の関連用語

愛染堂のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



愛染堂のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
文化庁文化庁
Copyright (c) 1997-2025 The Agency for Cultural Affairs, All Rights Reserved.
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの勝鬘院 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの中禅寺 (日光市) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS