恩赦の審問とは? わかりやすく解説

恩赦の審問

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/18 14:12 UTC 版)

ルイ・リエル」の記事における「恩赦の審問」の解説

9月2日になると新副総督のアダムス・ジョージ・アーチボルドが着任し新政府成立宣言したリエル恩赦得られず、また民兵達は親リエル派を叩き威嚇加えたことから、セント・ヨゼフ伝道所保護の下に国境越えダコタ準州逃亡した1870年12月行われた第一回議員選挙の結果リエル支援する者が数多く勢力を持つこととなった。しかし、リエル精神的重圧経済的困窮から身体の調子すぐれず(この不調は後の精神的な病の前兆とされている)、1871年5月になってやっとマニトバへの帰還叶ったこのころのレッドリヴァー居留地新たな脅威直面していた。リエルのかつての盟友ウィリアム・バーナード・オドノヒュー(William Bernard O'Donoghue)の率いるフィニアン同盟員アイルランド系)が国境越えてマニトバへの襲撃行ったのである。この脅威は後に誇張されすぎた話であることが判明したが、副総督アーチボルド10月4日軍の召集宣言した武装騎馬兵部隊編成され、うち一部隊をリエル率いたアーチボルドはセント・ボニファスで行われた閲兵式の折、大げさ仕草リエル握手行い友好関係回復がなったことを公式にアピールした。しかし、現実はこれと異なり、この和解知らせオンタリオ州届けられると、メイアー始めとする「カナダ第一運動Canada First movement)」の構成員は、反リエル(及び反アーチボルド)の気運再起させるためにしきりに民衆扇動した1872年連邦選挙において、マクドナルド首相はまずいことにケベック州オンタリオ州間に更なる溝を生じさせた。そこでマクドナルドはタシェを通じてリエルに1,000カナダドル賄賂提供するとともに自発的に亡命するよう工作行った。またスミスからは、リエル家族の賄費として600ポンド追加提供された。他に選ぶ道もなくリエル1872年3月2日ミネソタ州セントポール辿り着いた。しかし、6月末にマニトバ州に戻ると間もなくProvencher 選挙区から連邦議員選挙立候補することを表明した。ところが、9月初旬カルティエ地元選挙区ケベックで敗けると、リエルカルティエ記録によればリエル恩赦について好意的な立場であった)が議席確保できるようにと支援行った。こうしてカルティエ選挙圧倒的な勝利を収めたが、リエル望んだ恩赦審問による早期解決の夢は1873年5月20日カルティエ死により潰えた1873年10月補欠選挙リエル無風状態立候補したが、9月彼に対す逮捕状発行されると再び逃亡した。このときルピーヌは不運に捉えられ裁判かけられた。リエルは、逮捕暗殺恐れながらモントリオール向かい下院議員議席に就くべきかどうか逡巡していた。というのもオンタリオ州首相のエドワード・ブレークは、リエル逮捕に5,000ドル懸賞金掛けていたからである。リエル1873年の「パシフィック・スキャンダル(カナダ太平洋鉄道建設工事受注を巡る贈収賄事件11月マクドナルド保守党内閣退陣発展)」の議事出席しなかった唯一の国会議員であったことが知られている。カナダ自由党党首アレクサンダー・マッケンジー臨時連邦首相となり、1874年1月総選挙が行われた。こうしてマッケンジー率い自由党新内閣を発足させたが、リエルはその議席維持した杓子定規にいえばリエル選挙議員選ばれ時にすくなくとも一度議員名簿署名を行う必要があったため、1月下旬形式整えるための署名行っている。ところが、この議員名簿署名漏れを種にして、リスガー選挙区から選出されシュルツ支援した運動により、リエル非難浴びたリエル勢いはこの運動でも止まることなく補欠選挙再選果すが、またも追放処分となった。こうして、リエル象徴的なイメージ形成されケベック州における世論大変な勢いでリエルに傾いていった

※この「恩赦の審問」の解説は、「ルイ・リエル」の解説の一部です。
「恩赦の審問」を含む「ルイ・リエル」の記事については、「ルイ・リエル」の概要を参照ください。

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