恊働司教とザグレブ大司教
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「アロイジエ・ステピナツ」の記事における「恊働司教とザグレブ大司教」の解説
1934年、ステピナツはザグレブ大司教座の恊働司教に任命された。それはその他の候補者が教皇ピウス11世に拒否されたあとだった。ユーゴスラビア国王アレクサンダル1世は、自身が恊働司教任命に同意することをカトリック教会に求めていたからである。ステピナツは任命されるにあたり、In te, Domine, speravi(おお主よ、あなたに私をゆだねます)をモットーとした。この時期、アレクサンダル1世は王国の独裁化に奔走していた。ステピナツは、ヴラドコ・マチェクや他のクロアチア人政治家の釈放、およびその他一般の大赦を王に要求するザグレブ覚書に署名した者の中の一人であった。ステピナツは、自身が恊働司教に任命されたことに関して、マチェクに面会して謝意を示す機会を求めたが、ユーゴスラビア当局によって却下された。 1934年、アレクサンダル1世がマルセイユで暗殺された。ステピナツは司教アントゥン・アクシャモヴィッチ、ディオニジエ・ニャラディ、グレゴリイ・ロジュマンらとともに、セルビア正教会によって行われた王の国葬へ出席する特別許可を教皇庁から与えられた。クロアチアの政治家アンテ・トルムビッチはステピナツへ話をする機会が1934年に数度あった。ユーゴスラビア王国とのトルムビッチの関係において、『国家がカトリック教会に対して、全ての宗派に対するのと同様に振る舞い、カトリック教徒などに自由を保証するという前提つきで、ステピナツは国家への忠誠心を持っている。』と記録していた。7月30日、彼はフランス人代議士ロベール・シューマンを迎え、こう話した。『ユーゴスラビアに正義はない。カトリック教会は耐えている。』。 1936年、彼はユーゴスラビア王国最高峰である、スロベニアのトリグラウ山へ登った。現在の所、彼はトリグラヴの峰へのぼった唯一の高位聖職者であり、2006年にはこの登山を記念する礼拝堂が山頂付近のクレダリツァ山塊に建てられた。1937年、彼は聖地への巡礼を率いた(聖地エルサレムは当時のイギリス委任統治領パレスチナに含まれていた)。巡礼の途中、彼は殉教者ニコラ・タヴェリッチ(フランチェスコ会宣教師で、クロアチア人初の聖人。当時は福者)に捧げられた祭壇を祝福した。 1937年12月7日、ザグレブ大司教アントン・バウアーが死去した。そしてその時点で戒律年齢(en:Canonical age、教会法で定められた、聖体受領や各種の義務を引き受ける能力があるとみなされる年齢)40歳に達していなかったステピナツが後継のザグレブ大司教となり、教会史上最年少大司教の一人となった。1938年の四旬節に、ステピナツはザグレブ大学の学生たちにこう話した。「自らの国家へ向けられた愛は、人を野蛮な動物へ変えることや、全てを破壊すること、報復を呼び覚ますことはできない。しかし自国への愛は人を貴くする。それによって彼の国は他国への尊敬と愛を生み出すことができる。」。1938年、ユーゴスラビア総選挙が第二次世界大戦勃発前に行われた。ステピナツはヴラトコ・マチェクの対立候補に投票した。ラジオ・ベオグラードは、大司教がユーゴスラビア急進連合のミラン・ストヤディノヴィッチに投票したという嘘の情報を広めた。1938年後半、ステピナツは急性虫垂炎の手術を受けた。 1939年4月、ドラグティン・フレン博士はステピナツに、マイヤーリンクからやってきた裸足のカルメル会(en:Discalced Carmelite)の尼僧集団について話した。この尼僧たちはナチス・ドイツから圧力をかけられていた。ステピナツは尼僧たちを受け入れることを決め、ブレゾヴィツァに住居を用意した。ステピナツは1939年10月6日にイヴァニッチ=グラードで過ごし、彼は地元教区のために堅信礼を行った。1940年、彼はザグレブの聖マルカ教会でパヴレ王子を迎えた。パヴレはツヴェトコヴィッチ=マチェク同意(en:Cvetković-Maček Agreement)支援をするためやってきた。ステピナツのもと、教皇ピウス12世は1940年をクロアチア人キリスト教化1300年を祝う聖年であると宣言した。1940年、フランチェスコ会は在クロアチア700周年を祝い、総長レオナルド・ベッロが行事のためザグレブを訪問した。この訪問の間、1940年9月9日に、ステピナツは第3フランチェスコ会に加わった。
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