建築学・都市計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 07:54 UTC 版)
日本の建設省(当時)は1984年(昭和59年)に『美しい国土建設のために―景観形成の理念と方向』において、「景観」を、眺められるもの(=モノ)としての「景」と、眺める主体(=ヒト)としての「観」に分解し、更に「景」を地域性・全体性(総合性)・公共性に、「観」を多様性・生活性・参加性に細分した。これに基づいて、半田真理子は、モノがあり、それを見る人が美しさ・快適性・潤いなどを感じないものは景観ではなく、地域住民や土地の風土に合ったものが景観である、と述べた。土肥博至は景観を「人間が自らの周辺の環境を理解し、認識するひとつの方法」であり、視覚から得られたものに特定の意味や価値を見出そうとする態度であると記している。これを現象学の言葉で言うと「体験された空間」となり、実際にその場で景観を見ずとも、過去の経験や入手した情報から景観を思い浮かべることができる。そのように各人が思い浮かべたものが景観イメージ(イメージの景観)と呼ばれるものである。 現代は都市や街路空間を考える上で景観が問われる時代である。東京や大阪では建築基準法など法の枠組みの中で容積率などが規制されるため、建築物の高さや規模がそろっている。しかし、それは景観を意識したものではなく、規制によって結果として統一的な景観が形成されているに過ぎず、よく観察すれば色・テクスチャーなどは不統一で看板や電柱の配置も無造作であり、雑然とした街路空間となっている。こうした状況に対して景観をデザインしようという動きは活発になってきているが、「雰囲気のある個性的な街路空間」には、街路全体で「等質な雰囲気」を創ろうという視点と、ランドマークなどの記憶に留まるものによって個性付けしようとする視点の2つが重要である、と積田洋は述べた。積田は「等質的な雰囲気」の例としてフランス・パリのシャンゼリゼ通りを、記憶に留まるものの例としてイタリア・フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(ドゥオモ)を挙げている。 ケヴィン・リンチは景観の役割について、以下のように述べている。 異なる景観が他集団や象徴的な場の存在を示す例えばパプアニューギニアのトロブリアンド諸島ではジャングルや空き地に並ぶ木立が村の存在やタブーとされる樹木のありかを示し、アメリカ合衆国中西部では巨大な穀物倉庫が集落の存在を示している。 社会的な役割を果たす名称を与えられた景観は、集団のコミュニケーションを可能とする共通の記憶や象徴(シンボル)となる。例えば、広島市の原爆ドームは原子爆弾の恐ろしさを知らしめる象徴となっている。 景観を象徴により組織化すると、人間と環境の間に安定した関係を作り出す具体例を挙げれば、見覚えのある景観は人に心地よさや親近感などをもたらすことがこれである。 2015年(平成27年)3月国土交通省は景観法制定からの10年間で、景観に対する意識や取組はかなり普及したが、まだまだ発展途上の地域が残っていると分析した。
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