建築学界の動き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 06:52 UTC 版)
「ウィリアム・バージェス」の記事における「建築学界の動き」の解説
バージェスの限られた作品と、その死後の1世紀の大半でその作品に対する一般的不人気は、彼があまり研究されていないことを意味した。1923年に出版されたカーディフ城の71ページある案内書では、バージェスが3回言及されているだけであり、それも名前の綴りが違っていた。1951年のロンドン万国博覧会の展示に関するペヴズナーの書『ビクトリア高潮期のデザイン』では、バージェスが中世コートに大きな貢献をしたにも拘わらず、彼に関する言及は無い。しかし、最近の30年間は、興味がかなり復活してきた。その始まりはバージェスの死から100年経過した1981年であり、その人生と作品に関する大きな展示会が開催された。まずは1981年10月まで国立カーディフ博物館、続いて11月から1982年1月までロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館が会場だった。展示会のカタログは『ウィリアム・バージェスの奇妙な天才性』と題され、J・モードーント・クルックが編集していた。同年、クルックのバージェスに関する唯一の総合的研究書『ウィリアム・バージェスとビクトリア高潮期の夢』が出版された。クルックはその書の献辞に「C.H.-Rの記念に」と記しており、おそらくバージェスについて最初に真剣に研究した学者であるチャールズ・ハンドリー=リードにその内容を負っていることを認めている。クルックはリードの自殺後にそのノートを引き継いでいた。2013年2月にはその改訂版が出版された。その他にマーク・ジロアードのカーディフ城とカステル・コックに関する『ビクトリア期カントリーハウス』も出版されている。シリーズ作品である『イングランドの建物』、『ウェールズの建物』、『スコットランドの建物』、『アイルランドの建物』にはバージェスの作品を国ごとに包括的に取り上げている。ただし、スコットランドとアイルランドの書は未完である。2012年時点のカーディフ城の管理者マシュー・ウィリアムズは、建築関連の新聞に多くのバージェスとビュートの記事を掲載して来た。デイビッド・ローレンスとアン・ウィルソンによる『コークのセント・フィン・バーレの大聖堂』はアイルランドにおけるバージェスの作品を扱っている。
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