広西チワン族自治区の文革
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「文化大革命」の記事における「広西チワン族自治区の文革」の解説
文革は、北京において、南モンゴルにおいて、チベットにおいて、広西においては相違があり、宋永毅(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)が発掘した文革終了後、広西の党委員会組織が10万人の人員と4年をかけて、「文革遺留問題」処理にあたり、党委員会が作成した処理についての上級機関への報告書「広西文革檔案資料」によると、広西では、文革期に約20万の冤罪、約8万9000人の不正常な死、行方不明2万人、名前不明の死者3万人以上、少なくとも15万人が虐殺され、民間の調査では20万人以上が殺害されたという。資料によると、文革中、302人が殺害後に心臓・肝臓を摘出、食人が横行していたことが明かされている。資料により、名前が判明している殺人者は200人以上、うち6割が武装部長、民兵指揮員、民兵及び幹部であり、食人を働いた84%は中国共産党員・幹部であり、広西の5万人近い共産党員が虐殺、殺人に加担しており、文革の混乱に乗じた民衆の事件ではなく、中国共産党が組織的に行った虐殺・食人であることが裏付けられている。 武宣県の報告には以下の記述がある。「(1968年)6月17日、武宣に市の立つ日、蔡朝成、劉鳳桂らは湯展輝を引きずりながら町を行進し、新華書店前まで連れていくと、龍基が歩銃で湯を打ち据えた。王春栄は刃渡り五寸の刀をもって腹をさばいて、心臓と肝臓を取り出すと、野次馬が蜂のように群がって、それぞれ肉を切り取って奪った。肉が切り取られた後、ある老婆が生殖器を切り取り、県の服飾品加工工場の会計の黄恩范が大腿部を一本切り落として、職場に持ち帰り、工場職員仲間の鐘桂華とともに骨から肉を削り落として煮物にして食べた。当時、この残虐な現場にいた県革命委員会副主任、県武装部副部長の厳玉林は、この暴虐行為を目の当たりにしても一言も発さなかった。当時、招集された四級幹部会で、会議参加者のそれぞれの代表は人肉を食べ、非常な悪影響を与えていた」 欽州の報告書には以下の記述がある。「1968年9月7日から17日にかけて、上思県革命委員会が四級幹部会を招集し、上思中学で、群衆による公開殺人大会を開いた。このとき幹部、群衆12人が殺害されたが、一部の死者は腹をさばかれ肝臓を取り出され、県革命委員会の食堂で煮て食べられた。食人には県の幹部らが参加した。 同県の思陽公社武装部長・王昭騰は大隊に殺人を命令し、その晩、鄧雁雄を殺害、肝臓を取り出して煮て、部下らと一緒に食べた。彼は部下らに、人の肝臓を食べると、大胆になると言って勧めた。翌日、王昭騰は、さらに四人殺し肝臓を取り出し、二、三の生産隊ごとで、一人分の肝臓を食べるように命令を出した」 宋永毅は、広西では食人以外に、軍の師団が組織的に民衆に対して殲滅を行う、女性に対する性暴力が行われたことを指摘している。広西の農村では、父親や夫を殺害して妻や娘を凌辱する行為が常態化、資料によると、225事件1000人以上の被害者が記録されている。資料には、「1968年4月25日、浦北県北通公社で、大隊が四度にわたり24人を殺害。肝臓を取り出して煮て酒とともに食べた。この公社では180人が殺害された。…主犯の劉維秀、劉家錦らは、劉政堅を殴り殺したのち、17歳に満たないその娘に対し輪姦後、殴り殺し、肝臓と乳房、陰部を切り取った」という記述がある。 父親や夫を殺害後、犠牲者の妻や娘が、殺害当事者の妻にされることがあり、それを「改嫁」という。資料には、「浦北県北通公社の旱田大隊革命委員会主任は計画的に22人を殺害、殺害前に、犠牲者の財産を調べており、殺害後にその妻と娘四人が幹部らに嫁がされた。その時、改嫁証明費、出嫁費用として894元が支払われた」という記述がある。 宋永毅は、広西の文革の特徴として以下の4点を挙げている。 地方政府が意図的に作り出した無政府状態 高度な組織化による虐殺 虐殺の目的が階級の敵の生命を絶つことから、殺戮に伴う官能と快楽を得ることになっている 一族郎党を絶滅させるという方式が採られているが、これはその一族の財産(女性も含む)を奪うという動機が潜んでいる 宋永毅は、文革とは「共産党が文革以前に実施した17年間の政策の結果である」と証言しており、これに対して福島香織は、文革についてはタブーが多く、その誤りが検証されなければ、中国共産党に対する批判が許されない現在の中国では、再度大虐殺を伴う動乱が起きても不思議ではないと示唆している。
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