広西の環州
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/25 04:08 UTC 版)
本節では、唐代から宋代にかけて、現在の広西チワン族自治区河池市一帯に設置された環州について述べる。 638年(貞観12年)、唐の清平公李弘節が当地の少数民族を帰順させ、環州が置かれた。742年(天宝元年)、環州は正平郡と改称された。758年(乾元元年)、正平郡は環州の称にもどされた。環州は嶺南道の安南都護府に属し、正平・福零・竜源・饒勉・思恩・武石・蒙都・歌良の8県を管轄した。 宋のとき、環州は慶遠府の羈縻州となった。
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