幹部候補生制度の終了まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/02 04:48 UTC 版)
「幹部候補生 (日本軍)」の記事における「幹部候補生制度の終了まで」の解説
前述の学校教育・二年修業制となった陸軍補充令改正以後、1939年(昭和14年)からは幹部候補生の制度に大きな変更は行われなかったが、1940年(昭和15年)3月より衛生部に歯科医官が定められた。また同年9月にはそれまでの「各兵科の技術従事者」が技術部に改まり、1942年(昭和17年)4月に法務部が新設され、それぞれ幹部候補生を採用した。当該部の幹部候補生の資格は次のとおりである。 衛生部・技術部・法務部 兵科幹部候補生と同様の条件を満たし、かつ次の条件を備えること。 衛生部 (1940年3月以降)― 軍医:医師免許を有するか受ける資格のある者。薬剤官:薬剤師免許を有するか受ける資格のある者。歯科医官:歯科医師免許を有するか受ける資格のある者。 技術部(1940年9月以降) ― 工学または理学の学士、あるいは工業に関する学科の専門学校を卒業した者。実業学校令による工業学校を卒業した者も前者に準じる。 法務部(1942年4月以降) ― 司法官試補となる資格のある者。 法務部の幹部候補生は1942年4月に定められた法務部幹部候補生教育規則(陸普第2469号)で甲乙種の種別がなく、採用された幹部候補生はすべて法務部将校となる教育を受けた。また衛生部において乙種幹部候補生が存在せず甲種のみであったとする、一個人の体験をもとにした著作も確認されるが、制度上は衛生部幹部候補生教育規則(昭和9年陸達第7号、昭和13年陸普第2453号、昭和17年陸普第2907号)により予備役衛生部下士官となる乙種幹部候補生が規定されている。1945年(昭和20年)における幹部候補生の場合「昭和二十年度幹部候補生ノ採用、取扱等ニ関スル追加ノ件達」(陸密第682号)では、同年の第一次、第二次採用者のうち兵科はおよそ50パーセントが甲種、経理部はおよそ60パーセントが甲種、衛生部は軍医が「予備役将校タルニ適スト認ムル者」の条件つきで全員が甲種、薬剤官と歯科医官はおよそ90パーセントを甲種に区分すると定められた。 日中戦争の長期化、および1941年(昭和16年)12月の太平洋戦争開戦以降、戦局は深刻なものとなり、不足する将校と下士官を補充するため幹部候補生は大量に採用された。昭和18年度(1943年4月より1944年3月)における甲種幹部候補生の採用数は第一次(10月10日甲種決定)が9109名、第二次(11月20日甲種決定)が3562名である。それに加え同年度は10月に施行された在学徴集延期臨時特例(勅令第755号)により12月1日に入営または応召した(いわゆる「学徒出陣」)高等教育機関出身者からもさらに幹部候補生を採用した。また将校および下士官の需要を早急に満たすため幹部候補生の修業期間は適宜短縮されている。修業中の階級に関しても1944年(昭和19年)4月の陸軍補充令改正(勅令第244号)で幹部候補生採用時に上等兵の階級が与えられ、採用後およそ2か月で兵長に進むと改められた。 1945年(昭和20年)8月、日本政府はポツダム宣言を受諾し、8月15日に太平洋戦争の終戦に関する玉音放送がされた。8月18日、大陸命第1385号により全陸軍は「与エタル作戦任務ヲ解ク」とされ、幹部候補生制度は終了した。甲種幹部候補生は第13期が入校あるいは幹部候補生隊に入隊して間もなくのことであった。制度の根拠となっていた陸軍補充令は1946年(昭和21年)6月14日施行の「陸軍武官官等表等を廃止する勅令」(勅令第319号)により廃止された。
※この「幹部候補生制度の終了まで」の解説は、「幹部候補生 (日本軍)」の解説の一部です。
「幹部候補生制度の終了まで」を含む「幹部候補生 (日本軍)」の記事については、「幹部候補生 (日本軍)」の概要を参照ください。
- 幹部候補生制度の終了までのページへのリンク