幹部候補生の集合教育
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/03 01:46 UTC 版)
「陸軍経理学校」の記事における「幹部候補生の集合教育」の解説
「北支事変」として1937年(昭和12年)7月に勃発した日中戦争が長期化すると、日本は陸海軍の兵力を増強していった。陸軍経理部も必要とする人員が急増し、陸軍経理学校は従来の現役経理部将校に限らない補充教育を担うことになった。 1938年(昭和13年)8月、陸軍経理学校令中改正(勅令第535号)が施行され、被教育者に下士官候補者が加えられた。また前年の陸軍武官官等表改正にともない、学校令文中の「一等主計」が「主計大尉」になるなど階級名変更も行われた。従来の三等主計候補者は経理部少尉候補者となった。本科生徒の修学期間も1年10か月から1年8か月に変更されている。学校の編制には下士官候補者隊が加わった。 学校令改正による陸軍経理学校に加えられた被教育者は次のとおり(1938年8月時点)。 下士官候補者 主計下士官に必要な学術を修得する。 各隊より分遣された主計下士官候補者。修学期間は約1年。毎年1回入校。 主計下士官候補者は、歩兵科、騎兵科、砲兵科、工兵科、航空兵科、輜重兵科の兵のうち約1年以上在営し、主計下士官を志願した者の中より銓衡のうえ採用される。 1939年(昭和14年)8月、陸軍経理学校令中改正(勅令第585号)が施行された。改正された学校令では被教育者に幹部候補生を加えた(1939年8月時点)。 幹部候補生 予備役経理部将校に必要な学術を修得する。 各隊より分遣する経理部甲種幹部候補生。修学期間は約5か月から8か月。毎年1回入校。 詳細は「幹部候補生 (日本軍)#幹部候補生制度(甲乙種制)甲種集合教育」を参照 幹部候補生は年齢17歳以上、28歳未満で、兵として4か月以上在営した志願者のうち試験合格者が採用される。経理部幹部候補生となるには次のいずれかの学歴が必要であった。 法律・経済・商業・工業(建築・土木・応用化学・染色・紡績)・農業(農芸化学)に関する学科の専門学校、または同等以上の学校卒業者。 商業学校・工業学校(建築・土木・応用化学・染色・紡績)・農業学校(農産製造)の卒業者。 上の条件を満たし、かつ最終学歴の学校教練検定に合格している者に限られる。幹部候補生はまず所属部隊で基本教育を受けたのち、予備役将校に適すると認められ経理部甲種幹部候補生に選抜されると主計軍曹の階級で陸軍経理学校に入校した。幹部候補生教育開始当初は陸軍経理学校に幹部候補生隊を設置せず、幹部候補生は下士官候補者隊で起居し訓育が行われた。なお前述した1939年8月の学校令中改正に先立つ1938年(昭和13年)1月、甲種幹部候補生教育を各所属部隊で終えた予備役経理部見習士官187名が陸軍経理学校へ入校し、試験的に集団教育を実施している。
※この「幹部候補生の集合教育」の解説は、「陸軍経理学校」の解説の一部です。
「幹部候補生の集合教育」を含む「陸軍経理学校」の記事については、「陸軍経理学校」の概要を参照ください。
- 幹部候補生の集合教育のページへのリンク