幹部会における解任動議
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 15:09 UTC 版)
「反党グループ事件」の記事における「幹部会における解任動議」の解説
1957年6月、ついに反フルシチョフ派は行動に出た。幹部会を急遽招集し、フルシチョフを解任する動議を提出したのである。幹部会員11名の内、7人(マレンコフ、モロトフ、カガノーヴィチ、ブルガーニン、ヴォロシーロフ、ペルヴーヒン、サブーロフ)が賛成、4人(フルシチョフ、ミコヤン、スースロフ、キリチェンコ)が反対。動議は可決され、フルシチョフは失脚したかに見えた。 しかしフルシチョフは、第一書記たる自分は中央委員会によって選出された以上、解任できるのも中央委員会のみであると主張し、時間を稼いだ。この間に、ゲオルギー・ジューコフ国防相(幹部会員候補)とイワン・セーロフKGB議長の協力を取り付け、反フルシチョフ派の工作が及ぶ前に各地の中央委員を急ぎモスクワへと集めた。こうして、中央委員会総会の開催が決定され、フルシチョフの解任は、総会に持ち越されたのである。
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