幸浦・福浦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 23:51 UTC 版)
都心部からの工場移転に際し、都心部機能強化や防災計画、生活環境改善の必要性などを考慮し、緑町(現在のみなとみらい)、横浜駅東口・西口周辺、岡野・西平沼町地区、星川・天王町地区、新山下地区を優先度の高い第一種工場移転地区に選定。上大岡、井土ケ谷、戸塚駅周辺、広地町・滝頭地区をこれに次ぐ第二種工場移転地区に選定した。移転事業所の業種別内訳は機械(輸送用機械や電気機械含む)25.8%、金属18.8%、建設16.9%、素材(石油、化学、鉄鋼、非鉄金属など)7.3%、食料品6.2%、再生資源5.9%などとなっている。三菱重工業横浜造船所は都心部に35haの敷地を持ち、市はこの移転代替地として56haを用意した。従前は用地のうち53%、17.5haを生産施設用地として使用できていたが、工場立地法の制定により緑被率20%以上、環境施設用地25%以上、造船所の生産施設用地30%以下と規定されたため、生産施設用地として使用できる面積は16.8haに減少する。このため三菱重工は100ha程度の拡張を要求した。市は追加の埋立を検討したが住民の反対により困難と見られた。その後の深刻な不況で追加購入する余裕がなくなったとして1975年にこの要求を取り下げ、1976年3月に当初予定通りの面積で売買契約がなされた。横浜造船所は1983年に本牧・金沢の2工場体制の三菱重工業横浜製作所に名称を変更し、金沢工場では中小型火力発電システム、エンジン、環境装置などを製造。火力発電部門は2014年から三菱日立パワーシステムズに移管したが、2015年度末をもって他工場に生産を移管し閉鎖した。磯子からは首都高速湾岸線建設地にかかる日本発条本社・工場が移転してきている。高速湾岸線建設に関して、西武グループの杉田ゴルフ場と南横浜自動車学校も、杉田から八景島対岸の福浦3丁目に移転した。幸浦・福浦には文明堂をはじめ製菓や中華食材の工場も進出しており、定期的に工場直売を実施している企業もある。幸浦2丁目は金沢流通団地として、西濃運輸をはじめ運輸業や卸売業者が多く進出し、2004年には東京ガスグラウンド跡にコストコが進出した。幸浦1丁目にも富士フイルム輸出流通センターなど物流拠点が設けられている。金沢木材埠頭は、新山下の貯木場機能を移転すべく1974年に幸浦1丁目に完成したが、原木の輸入需要がなくなり、横浜ベイサイドマリーナおよび三井アウトレットパーク 横浜ベイサイドとして再整備されている。産業振興センター駅前には、中小企業向けの事業支援や福利厚生を目的として研修室やスポーツ施設を備えた横浜市産業振興センターと、これに隣接してインキュベート支援施設で横浜テクノタワーホテルが入居する横浜金沢ハイテクセンターが建つ。 その他の公共施設では、幸浦2丁目に横浜市資源循環局金沢清掃工場と、その余熱を利用した温水プールと日帰り入浴施設を備えたリネツ金沢が併設されている。幸浦1丁目には金沢水再生センター(下水処理場)および南部汚泥資源化センターがあり、工業団地内には染色や表面処理など特殊な廃液を排出する事業者が進出していることからシアン、クロム、廃酸・廃アルカリ、染色廃液などを前処理する「福浦工場排水処理場」が福浦2丁目に設けられている。横浜市消防局横浜ヘリポートは1963年の「横浜国際港都建設総合基幹計画」から構想があり、福浦3丁目の東南端に1982年4月に開港した。横浜市立大学医学部は1991年に南区浦舟町より福浦3丁目に移転し、隣接して横浜市立大学附属病院が開院した。
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