文明堂とは? わかりやすく解説

文明堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/29 00:30 UTC 版)

文明堂(ぶんめいどう)とは、カステラ和菓子を製造・販売する老舗。1900年(明治33年)に長崎で中川安五郎が創業し、実弟の宮崎甚左衛門が東京に進出させ、製造革新と斬新な販売、広告によって全国的に知られる暖簾となった。現在、複数の「文明堂」を冠する企業がある。


注釈

  1. ^ 中川安五郎が大丸と十合呉服店(後のそごう百貨店)に挟まれた「大宝寺通り」と商店街である「心斎橋筋」が交差する南東角地(大阪市南区心斎橋筋一丁目11)を買い上げた。地下鉄の出入口も近く超一等地だった。1952年(昭和27年)ほぼ同じ場所にてのれん分けの銀装が創立する。
  2. ^ (材料不足で自社カステラの製造はできなかったが、)粉と砂糖を持ち込んだ客にカステラを焼く仕事をはじめた。
  3. ^ 大阪市南区宗右衛門町22
  4. ^ 同一電話局管内の回線接続には交換手に(局名を省き)番号だけ告げれば良かったため。
  5. ^ 大阪市北区堂島上2-11
  6. ^ オール生活編集部編 "宮崎甚左衛門の成功商法"『オール生活』1953年10月号 実業之日本社 95ページにその時期を「昭和5、6年のこと」と記されている。
  7. ^ この時期はフリガナ(ココイチ)を付けていない広告も少々ある。
  8. ^ 東京支店の電話番号「48-0067」「48-0068」は特に工夫はしていない。
  9. ^ 戦後はよみうりテレビ副社長や、電通ラジオ局の顧問などを歴任。
  10. ^ のちに電通の二代目社長となる。
  11. ^ その6日前(1935年4月29日)の読売新聞の広告だと、まだ赤坂2番(注:自動化局からは48-0002番)」の電話番号はなく、赤坂67番・68番(注:自動化局からは48-0067番・48-0068番)のままだった。
  12. ^ 赤坂局が電話交換手による手動局ならば、同じ赤坂局管内の住人は局名を省いた「二番」と伝えるだけで文明堂へ繋がるが、赤坂局は自動化されており当初から「二番」だけでは接続されなかった。
  13. ^ 広告の「扉(とびら)」ページ
  14. ^ 「ウラ表紙」だと誤って伝えられることがあるが、正しくは「表紙ウラ」(表紙の裏面)である。
  15. ^ 最後まで残っていた一部の手動交換局は空襲で壊滅した。
  16. ^ 文明堂は現在でも加入者番号を0002番にしたり、0020番、0222番など、電話番号に2を入れる傾向がある。
  17. ^ (南)とは南電話局のことである。
  18. ^ PHP研究所編 "戦後の話題広告小史" 『数字で見る日本のあゆみ』 1982 PHP研究所 526ページの年表の昭和27年(1952年)に、「カステラ一番、電話は二番、三時のおやつは文明堂」と記されている。この年は民放ラジオ局誕生の年である。
  19. ^ 『当初はラジオだけで、オッフェンバックの「天国と地獄」の軽快なリズムにのせてひばり児童合唱団が「カステラ一番」と歌った。三十七年からテレビ登場、五匹の子熊の縫いぐるみが「天国と地獄」に合わせてラインダンスを踊る現在の形になった。』(引用:産経新聞「戦後史開封」取材班編 『戦後史開封3』 1996 産経新聞ニュースサービス 390ページ)と、1957年(昭和32年)がテレビCMの最初とする文献もある。

出典

  1. ^ 中川安五郎『文明堂総本店店主中川安五郎苦闘録』(自費出版)1940年 27ページ
  2. ^ 宮崎甚左衛門『商道五十年』1960 実業之日本社 61ページ
  3. ^ 宮崎甚左衛門『商道五十年』1960年 実業之日本社 82ページ
  4. ^ 宮崎甚左衛門『商道五十年』1960年 実業之日本社 88ページ
  5. ^ 宮崎甚左衛門『商道五十年』1960年 実業之日本社 92ページ
  6. ^ (広告)"本日開店 長崎文明堂のカステーラ 神戸支店"『大阪朝日新聞神戸版』1930年4月21日 朝刊9ページ
  7. ^ (広告)"本日開業 長崎本場 長崎文明堂のカステーラ 文明堂横浜支店開店"『東京朝日新聞神奈川附録』1933年11月8日 朝刊1ページ
  8. ^ a b 中川安五郎『文明堂総本店店主中川安五郎苦闘録』(自費出版)1940年 61ページ
  9. ^ (広告)"長崎文明堂のカステーラ 銀座進出開店二月十二日"『読売新聞』1939年2月12日 朝刊8ページ
  10. ^ 宮崎甚左衛門『商道五十年』1960年 実業之日本社 131ページ
  11. ^ 宮崎甚左衛門『商道五十年』1960年 実業之日本社 132ページ
  12. ^ 宮崎甚左衛門『商道五十年』1960年 実業之日本社 133-134ページ
  13. ^ 宮崎甚左衛門『商道五十年』1960年 実業之日本社 137-138ページ
  14. ^ a b 宮崎甚左衛門『商道五十年』1960年 実業之日本社 148ページ
  15. ^ (広告)"昔のままの味 (委託加工) 長崎文明堂のカステーラ"『読売新聞』1948年5月23日 朝刊2ページ
  16. ^ (広告)"カステラで名高い文明堂のお二階 独特のフランス料理とすき焼き"『読売新聞』1950年2月27日 夕刊2ページ
  17. ^ (広告)"文明堂のカステラ 日本橋店 7月2日 開店"『読売新聞』1951年6月28日 夕刊2ページ
  18. ^ 宮崎甚左衛門『商道五十年』1960年 実業之日本社 171ページ
  19. ^ 宮崎甚左衛門 『商道五十年』 1960 実業之日本社 170ページ
  20. ^ (広告)"開店 本家長崎カステーラ 文明堂支店 三越呉服店にも販売致居候"『東京朝日新聞』1922年(大正11年)3月24日 夕刊3ページ
  21. ^ 大阪市中央電話局編 『大阪電話番号簿』(大正14年6月1日現在) 450ページ
  22. ^ 大阪中央電話局編 『大阪電話番号簿』(昭和5年4月30日現在) 467ページ
  23. ^ 中村浩『十方化おおさか史:懐しき大正・昭和一けた』1981年 現代創造社 122ページ
  24. ^ 村嶋帰之『カフェー考現学:大正・昭和の風俗批評と社会探訪』2004年 柏書房 72ページ
  25. ^ 大阪毎日新聞社編『日本都市大観: 附満洲国都市大観』(昭和十一年版)1936年 大阪毎日新聞社 304ページ
  26. ^ 宮本又次『大阪の風俗』1973年 毎日放送 99ページ
  27. ^ (広告)"大懸賞"『東京朝日新聞』1935年1月14日 1ページ
  28. ^ (広告)"懸賞当選発表!"『東京朝日新聞』1935年3月1日 夕刊1ページ
  29. ^ a b (広告)"カステラは一番 電話は二番(赤坂)"『読売新聞』1935年5月5日 朝刊7ページ
  30. ^ 東京中央電話局編『昭和十一年四月一日現在 東京市電話番号簿』1936年6月19日発行
  31. ^ 東京中央電話局編『昭和十二年四月一日現在 東京市電話番号簿』1937年6月15日発行
  32. ^ 東京中央電話局編『昭和十二年四月一日現在 東京市電話番号簿』 表紙
  33. ^ a b 宮崎甚左衛門『商道五十年』1960年 実業之日本社 108ページ
  34. ^ (広告)"暑中見舞に一家挙って喜ばれる 文明堂のカステラ"『読売新聞』1950年8月1日 夕刊2ページ
  35. ^ (広告)"文明堂 カステラは1番 電話は2番"『読売新聞』1953年2月24日 朝刊7ページ
  36. ^ 山川浩二編『昭和広告60年史』1987年 講談社 282-283ページ
  37. ^ 神田文人編『昭和史年表:大正12年9月10日-平成元年12月31日(完結編)』1986年 小学館 77ページ


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