金沢シーサイドタウン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 23:51 UTC 版)
「金沢地先埋立事業」の記事における「金沢シーサイドタウン」の解説
金沢シーサイドタウンについて、都市再生機構は並木一丁目第一、並木一丁目第二、並木二丁目、並木三丁目、柴の各団地、金沢区役所は並木、富岡東二丁目および幸浦・福浦・昭和町・鳥浜町と定義している。並木一丁目団地は日本住宅公団(現 都市再生機構)、横浜市住宅供給公社、横浜市勤労者住宅協会、横浜市建築局(市営住宅)などが中心となり、1978年5月に入居開始した。2015年現在、本埋立事業範囲外の富岡東などを含め(柴町含まず)9,660世帯21,600人が暮らす。その97%が集合住宅に暮らし、住民数ベースで3~5階建の中層棟51%、6階建て以上の高層棟45%で、一戸建ての比率は低い。分譲住宅など持ち家率は59%、UR賃貸・県営住宅などの公的な賃貸住宅32%、社宅等6%の割合となっている。並木一・二・三丁目の各丁目には外周道路が設けられ、団地内の通過交通を遮断するとともに、歩行者専用道路に沿って学校・保育園や日用品スーパーなどを計画的に配置した。並木一丁目は外周道路外側に中・高層棟、内側に碁盤の目状に低層住宅を配置。並木二・三丁目は格子状のパターンに中・高層棟と低層住宅を混在させている。並木一丁目と富岡東四丁目の間の旧富岡漁港跡は「富岡並木ふなだまり公園」として整備され、周囲にスーパーマーケット(2014年1月まで東急ストア、2016年4月よりオーケー)や地区センターが配置され、憩いの空間となっている。並木二・三丁目の間の地下には横浜横須賀道路金沢支線の並木トンネルが通り、その西側で並木インターチェンジが接続している。トンネルの北側はイオンを核テナントとした大型ショッピングセンター「ビアレ横浜」、南側は三菱重工業の社宅と横浜南税務署がある。地区内の住宅の多くが1979年から1984年にかけて入居し、概ね30年以上が経過したことから高齢化と緩やかな人口減少が進行している。 金沢シーサイドタウンは、1992年に都市景観100選に選定された。
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