小学校から商業学校時代とは? わかりやすく解説

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小学校から商業学校時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 14:48 UTC 版)

三木武夫」の記事における「小学校から商業学校時代」の解説

1913年大正2年4月御所村尋常高等小学校入学当時同級生から「小柄病気がちおとなしい」、「一本気融通利かない」、「一人っ子外面悪く独善的協調性欠ける」などと回想されており、おとなしいものの我が強い子どもであった三年時には27日間欠席したと記録されていて、病気がちであったという回想は確かなようで、また恩師であった教師の談によれば算数が得意であった成績クラス三番から四番程度で、級長になったことは無いといい、飛びぬけて優れた小学生ではなかった。しかし小学校時代から「お話時間学芸会では目立つ」、「弁論上手い」、「近所の子どもたちに演説聞かせていた」など、後に国会などで雄弁で鳴らすことになる片鱗見せていた。 1920年大正9年4月徳島県立商業学校(以下、徳商入学。これは実家肥料であったため、家業である商業を学ぶ商業学校への進学したためであった順当にいけば前年大正8年4月進学しているはずであり、一年遅れの徳商入学となった入学遅れた理由としては小学校徳商同級生らから、入学試験落ちて浪人した、補欠合格はしたもの自信持てず留年した、あるいは眼の病気のためとの証言あってはきりしない当時徳島中学校と並ぶ難関中等学校であった徳商入学試験際しタカノ小学校教師毎晩の特別の補習依頼し補習終了まで別室待っていた。 徳商入学し徳島市前川町にあった第二宿舎入寮寄宿生活を始めた。時々宿舎抜け出しカフェ飲酒した無声映画見たりする硬派グループのリーダーとなった伝えられている。久吉ねだってコダック小型カメラ購入してもらい、カメラ悪用疑い久吉学校呼び出されたこともあった。 徳商での成績について詳細不明であるが、中位であったと言われている。徳商時代弁論存在感見せるようになる中学一年時に弁論部入部するとたちまち頭角現し弁論部キャプテンとなった徳島県青年学生雄論大会などで得意の雄弁見せ第一となったこともあると伝えられている。また徳島成長した賀川豊彦講演聞いてその弁論術感動し永井柳太郎雄弁術感激したというエピソード残っている。 徳商では野球部強化のための資金集め商業実習兼ねてワイシャツ毛布などを販売する校内バザーを行うことが慣例となっていたが、1925年大正14年7月バザー会計に不正があるとの疑い生じ四年生中心として校長追放運動発生した一年留年しており、当時高学年五年生であったが、運動の主要メンバーとなった。得意の弁論駆使して校内説いて回り校長にも直接談判した。そして四年生全員連判状署名した上で学校休んで眉山茂助ヶ原に集結し気勢上げという事態に発展したその結果生徒保護者の代表がバザー会計監査を行うことになったが、不正は明らかにならなかった。最終的に一名生徒とともに一連の騒動首謀者とされ、退学処分となった。この事件では三木雄弁が悪い結果もたらしたことになる。 久吉退学処分受けた三木厳しく叱りつけ、タカノ近親者に対して子の行く末を案じる漏らしていた。本人徳島居たたまれなくなり叔父らを頼って大阪布施市(現・東大阪市)へ向かい1925年大正14年9月私立中外商学校(現・兵庫県立尼崎北高等学校)に編入することになった中外商は1922年大正11年3月認可され同年5月から授業開始されたという三木編入当時はまだ歴史の浅い学校であった当初大阪市北区玉江町にあった校舎まで歩いて通学していたが、同年12月には尼崎市塚口新校舎完成したのを機に塚口まで通学するようになった徳島名門校から無名に近い学校への転学余儀なくされた挫折感や、故郷徳島離れた孤独感支えたのはやはり得意の弁論であった大正14年近畿中等学校弁論大会第一となっている。1926年大正15年3月中外商を卒業

※この「小学校から商業学校時代」の解説は、「三木武夫」の解説の一部です。
「小学校から商業学校時代」を含む「三木武夫」の記事については、「三木武夫」の概要を参照ください。

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