小学校から高校まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 11:45 UTC 版)
胡錦濤は2人の妹と共に泰州市内の西倉通りにある大浦中心小学校に通った。1947年9月にこの小学校に入学する。小学校時代の同級生の回想によると、家柄の良くない胡は政治活動に興味を抱き、読書に没頭していたという。授業態度はまじめで、家での予習復習も怠らなかった。成績は優秀であり、飛び級により、1953年6月に10歳6ヶ月半で小学校を卒業し、中学校は泰州第二中学校に通った。 1956年9月、泰州第一中学校高等部1年4組に入学する。学校の史料館員によれば、「安定書院」跡地に創立されたという。当時の胡について、教員は「小柄な彼はスポーツはあまり得意ではなかったが、リーダーシップがあり、文芸が得意で、よくクラブ活動に参加した。文化祭のときにはコーラスの指揮者となり、大活躍した」という。級長に選ばれた3年生のときには、「政治的自覚が強く、クラスメートをよくまとめ、各種の学習および学外活動を自主的におこなった。まじめに学習し、率直な性格のもち主で、責任感が強く、何事も積極的かつ公平に進めるタイプである」と書かれている。一方で、高校時代の同級生によると、当時の胡は内向的で口数が少なく、クラスでは決して目立つ存在ではなかった。小柄なため体育は苦手だったが、卓球だけは得意だった。成績は上位であったが、一番ではなかった。1959年に清華大学へ入学した際には、教員や同級生からは意外に思われたという。16歳半で同大学水力学部に入学した胡錦濤は、当時では最も若い新入生であった。高校の数学教員・葉鳳梧によると、入学志望校の願書提出の際に清華大学を希望するならば、日頃の成績と家庭の出身を考えて、人気はあるが審査の厳しい学部よりも志望者の少ない学部を志望したほうが受かる可能性が高い、と助言を与えたという。そこで胡は清華大学水力学部河川基幹水力発電専攻を志望した。ここの卒業生は、ほとんどが地方(または辺境)のダム(水力発電所)に配属されるため、学生にはあまり人気がなかったという。
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