導入から一度目の廃車まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 18:08 UTC 版)
「名古屋電気鉄道トク1号電車」の記事における「導入から一度目の廃車まで」の解説
.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}} 郡部線全通祝賀行事に動員されるトク1号(花電車後方の車両)(1914年、岩倉駅) 旧浅野邸訪問の特別列車として使用されたトク2号(1915年、浅野駅) トク1・トク2の導入に至る直接的な経緯は不明とされるが、1915年(大正4年)10月に皇太子(後の昭和天皇)が名古屋行啓に際して名古屋電気鉄道市内線の白島 - 築港間(後の名古屋市電築港線に相当)を利用し、その際トク1・トク2のいずれかが御料車に充当された記録が残されている。 その他、元広島藩藩主で華族の浅野長勲が、先祖である浅野長政の旧邸跡(後に浅野公園として整備)を訪問する際、押切町駅より同所の最寄駅である一宮線浅野駅までトク1・トク2を用いた特別列車が運行された。長勲の旧浅野邸訪問は複数回にわたり、またその際には鉄道省名古屋鉄道局長や内務省警保局長など中央政界と通じる要人が陪乗したことによって、貴賓客輸送の実績に加えて郡部線の主要路線区である一宮線・犬山線の存在を中央政界に知らしめたことが、後にトク1・トク2の後継車両であるトク3を用いたお召し列車の運行に繋がったものとされる。 詳細は「名古屋鉄道トク3号電車#お召し列車運用」を参照 1920年(大正9年)6月7日、名古屋電気鉄道における主要車両基地であった那古野車庫が火災により全焼した。この火災によって名古屋電気鉄道は全保有車両の4割以上を喪失する甚大な被害を蒙ったが、検査入場中であったトク1も被災焼失し、復旧されることなく廃車となった。このため、以降トク2のみが残存し、貴賓客輸送に充当された。 郡部線の分割による旧・名古屋鉄道の発足後、1927年(昭和2年)4月に2軸ボギー構造の新型貴賓車トク3が導入された。それに伴ってトク2は一般列車運用に転用され、小牧線など支線区にて運用されたのち、1931年(昭和6年)12月に乗降部ステップの改良などを施工して正式に一般用車両へ格下げされた。この際、形式および記号番号がデシ550形551と改められた。 デシ551はその後も支線区にて運用されたが、1935年(昭和10年)8月に旧・名古屋鉄道改め名岐鉄道と愛知電気鉄道の合併による現・名古屋鉄道(名鉄)が発足し、大型ボギー車の増備が進捗すると、デシ551を含む空気ブレーキ未装備かつ輸送単位の小さい4輪単車各形式は急速に淘汰が進行した。デシ551も運用離脱後の1940年(昭和15年)6月11日付で除籍され、須ヶ口駅構内にて荒廃した状態で放置された。
※この「導入から一度目の廃車まで」の解説は、「名古屋電気鉄道トク1号電車」の解説の一部です。
「導入から一度目の廃車まで」を含む「名古屋電気鉄道トク1号電車」の記事については、「名古屋電気鉄道トク1号電車」の概要を参照ください。
- 導入から一度目の廃車までのページへのリンク