導入から制御車の増備まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 07:57 UTC 版)
「名岐鉄道デボ800形電車」の記事における「導入から制御車の増備まで」の解説
導入後は主に名岐線における特急・急行列車運用へ充当された。前述の通り、デボ800形は名古屋側の拠点駅である柳橋への入線が不可能であったことから、名岐線の特急・急行列車は全列車とも押切町を発着駅として、柳橋を発着する列車と押切町にて接続する運行ダイヤが設定された。また、デボ800形の就役までに軌道改良および車両限界拡大工事が間に合わなかった区間については、当該区間は運転速度を時速16 km/h以下に制限して走行する旨申請を行い、特認を受けた。この徐行運転は1935年(昭和10年)5月までの限定措置で、改良工事完成に伴って制限は撤廃されている。 名岐鉄道は1935年(昭和10年)8月1日付で愛知電気鉄道と対等合併し、現・名古屋鉄道(名鉄)が発足した。合併後、名岐線を含む名岐鉄道由来の各路線は「西部線」と総称された。同年12月には現・名鉄発足後初の新車として、デボ806 - デボ810の5両が日本車輌製造本店にて落成、同5両の増備に伴って、デボ800形は犬山線の急行列車運用にも充当された。 デボ800形によって運用された名岐線・犬山線の優等列車は好評を博し、単行運転を想定して両運転台構造かつ全車電動車として落成したデボ800形であったが、実際には2両編成以上での運行が常態化した。そのため、西部線向けの流線形電車として導入が計画された850系「なまず」の新製に際しては、デボ800形を電装解除して電装品を転用する方針が策定された。1936年(昭和11年)12月にデボ802・デボ803(車両番号は初代)の2両が電装解除・制御車化改造を受け、ク2250形2251・2252(形式・記号番号とも初代)と形式・記号番号を改めた。 また、1937年(昭和12年)2月には当初より制御車として設計されたク2300形2301・2302(形式・記号番号とも初代)が、日本車輌製造本店にて新製された。ク2300形の基本設計はデボ800形を踏襲したが、片運転台構造である点が異なり、側面窓配置は d 2 D (1) 8 (1) D 3 と設計変更された。片運転台構造化に伴って車両定員は125人(座席68人)に増加した。台車はデボ800形と同様に日本車輌製造D16を装着、またク2300形は制御車ながら運転台側の屋根上へ東洋電機製造PT-7菱形パンタグラフを搭載した。
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