富岡製糸場とは? わかりやすく解説

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富岡製糸場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/21 20:27 UTC 版)

富岡製糸場と絹産業遺産群」の記事における「富岡製糸場」の解説

富岡製糸場の繰糸所(上・明時代、下・操業停止後) 詳細は「富岡製糸場」を参照 富岡製糸場(.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯3615分18.0秒 東経13853分15.0秒 / 北緯36.255000度 東経138.887500度 / 36.255000; 138.887500 (製糸場))は富岡市に残る旧製糸工場である。1872年フランス技術取り入れて建設された。敷地東西200 m南北300 mで、創建当初建造物群は、木の骨組みレンガ組み合わせた木骨レンガ造り」である。同じ時期木骨レンガ造り遺構で、当時の姿を良好にとどめているものとしては他に例がないとされる。後に重要文化財指定され創建当初建造物群中心に概観する以下の通りである(太字重要文化財指定)。 繰糸所(そうしじょ)は富岡製糸場の中で中心的な建物であり、梁間長さ)140.4 m、桁行(幅)12.3 mの木骨レンガ造りである。繰糸手許明るくする必要性があったことから、フランスから輸入した大きなガラス窓によって採光なされている。この巨大な作業場300釜のフランス式繰糸器が設置された。本場フランスでさえ、当時製糸工場多く繰糸器は50釜から150程度とされており、富岡製糸場は当時としては世界最大規模であったまた、単にフランスのものをそのまま導入したではなく日本工女たちの座高合わせて高さを調整したほか、フランスでは一般的でなかった揚返器も設置した。富岡製糸場に導入され器械製糸は、それ以前揚げ返し含まない西洋器械そのまま導入していた事例異なっており、1873年から1879年の間に実に全国26製糸工場導入された。操業されていた器械時代ごとに移り変わったが、前述のように、建物自体巨大さゆえに増築などの必要性無く創建当初の姿が残された。 東置繭所(ひがしおきまゆじょ)と西置繭所(にしおきまゆじょ)はいずれ長さ104.4 m、幅12.3 mの木骨レンガ造り2階建てで、その名の通り、主に2階部分が繭置き場使われた。いずれも1872年竣工倉庫で、東置繭所には「明治5年」と刻まれ要石掲げられている。開業当初養蚕が主に春にか行われなかったため、春蚕の繭をできるだけ蓄えておく必要があったことから建設され2棟合わせて32トンの繭を収容できたとされている。2階部分倉庫とされたのは、風通しなどへの配慮もあった。 蒸気釜所(じょうきかましょ。1872年竣工)は製糸場の動力司り一部煮繭使われた。1920年動力電化されると蒸気エンジン使われなくなり、のちには煮繭所などに転用された。 首長館(しゅちょうかん。1873年竣工)あるいはブリューナ館(ブリュナ館)は、別名が示すようにブリューナ(ブリュナ)一家滞在するために建設され木骨レンガ造り建物である。平屋建てのこの建物面積916.8 m2と広く1879年にブリューナが帰国すると、工女向けの教育施設などに転用された。改変されてはいるが、むしろ工女教育に関する産業遺産として評価する意見もある。女工館(じょこうかん)あるいは2号館首長館と同じく1873年竣工した木骨レンガ造り建物で、フランス人の教婦(女性技術指導者)たちのために建てられた。しかし、4人の教婦たちは翌年には全員帰国してしまったため、空き家となったあと、様々な用途転用された。検査人館(けんさにんかん)あるいは3号館は、もともとはフランス人男性技術指導者の宿舎として建てられたものであったが、完成前後する時期には該当する技術者たちはいずれ解雇または帰国していたため、かわりに外国人医師宿舎になっていたようである。これらの3館はいずれコロニアル様式洋風住宅規定されている。 鉄水溜(てっすいりゅう1875年竣工)は、創建当初レンガモルタル塗った貯水槽水漏れによって使えなくなったことを受け、横浜製造所に作らせた鉄製貯水槽で、その貯水量は約400トン達する。鉄製国産構造物としては現存最古とも言われる逆に排水担ったのが下水竇(げすいとう下水道)と外竇(がいとう排水溝)で、いずれも1872年レンガ主体として築かれ暗渠である。西洋建築様式取り入れた下水道は、当時はまだ開港地以外で見られることは稀であり、これらの遺構もまた建築上の価値有している。 富岡製糸場が推薦物件加えられ理由は、「フランス器械製糸技術導入した日本初本格的製糸工場」「和洋技術混交し工場建築の代表」ということのほか、製糸養蚕技術の発展への貢献などである。

※この「富岡製糸場」の解説は、「富岡製糸場と絹産業遺産群」の解説の一部です。
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