富岡製糸場
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「富岡製糸場と絹産業遺産群」の記事における「富岡製糸場」の解説
富岡製糸場の繰糸所(上・明治時代、下・操業停止後) 詳細は「富岡製糸場」を参照 富岡製糸場(.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度15分18.0秒 東経138度53分15.0秒 / 北緯36.255000度 東経138.887500度 / 36.255000; 138.887500 (製糸場))は富岡市に残る旧製糸工場である。1872年にフランスの技術を取り入れて建設された。敷地は東西約200 m、南北約300 mで、創建当初の建造物群は、木の骨組みにレンガを組み合わせた「木骨レンガ造り」である。同じ時期の木骨レンガ造りの遺構で、当時の姿を良好にとどめているものとしては他に例がないとされる。後に重要文化財に指定された創建当初の建造物群を中心に概観すると以下の通りである(太字は重要文化財指定)。 繰糸所(そうしじょ)は富岡製糸場の中で中心的な建物であり、梁間(長さ)140.4 m、桁行(幅)12.3 mの木骨レンガ造りである。繰糸は手許を明るくする必要性があったことから、フランスから輸入した大きなガラス窓によって採光がなされている。この巨大な作業場に300釜のフランス式繰糸器が設置された。本場のフランスでさえ、当時の製糸工場の多くで繰糸器は50釜から150釜程度とされており、富岡製糸場は当時としては世界最大規模であった。また、単にフランスのものをそのまま導入したのではなく、日本の工女たちの座高に合わせて高さを調整したほか、フランスでは一般的でなかった揚返器も設置した。富岡製糸場に導入された器械製糸は、それ以前の揚げ返しを含まない西洋器械をそのまま導入していた事例と異なっており、1873年から1879年の間に実に全国26の製糸工場に導入された。操業されていた器械は時代ごとに移り変わったが、前述のように、建物自体は巨大さゆえに増築などの必要性が無く、創建当初の姿が残された。 東置繭所(ひがしおきまゆじょ)と西置繭所(にしおきまゆじょ)はいずれも長さ104.4 m、幅12.3 mの木骨レンガ造りの2階建てで、その名の通り、主に2階部分が繭置き場に使われた。いずれも1872年竣工の倉庫で、東置繭所には「明治5年」と刻まれた要石が掲げられている。開業当初は養蚕が主に春にしか行われなかったため、春蚕の繭をできるだけ蓄えておく必要があったことから建設され、2棟合わせて約32トンの繭を収容できたとされている。2階部分が倉庫とされたのは、風通しなどへの配慮もあった。 蒸気釜所(じょうきかましょ。1872年竣工)は製糸場の動力を司り、一部は煮繭に使われた。1920年に動力が電化されると蒸気エンジンは使われなくなり、のちには煮繭所などに転用された。 首長館(しゅちょうかん。1873年竣工)あるいはブリューナ館(ブリュナ館)は、別名が示すようにブリューナ(ブリュナ)一家が滞在するために建設された木骨レンガ造りの建物である。平屋建てのこの建物は面積916.8 m2と広く、1879年にブリューナが帰国すると、工女向けの教育施設などに転用された。改変されてはいるが、むしろ工女教育に関する産業遺産として評価する意見もある。女工館(じょこうかん)あるいは2号館は首長館と同じく1873年に竣工した木骨レンガ造りの建物で、フランス人の教婦(女性技術指導者)たちのために建てられた。しかし、4人の教婦たちは翌年には全員帰国してしまったため、空き家となったあと、様々な用途に転用された。検査人館(けんさにんかん)あるいは3号館は、もともとはフランス人の男性技術指導者の宿舎として建てられたものであったが、完成と前後する時期には該当する技術者たちはいずれも解雇または帰国していたため、かわりに外国人医師の宿舎になっていたようである。これらの3館はいずれもコロニアル様式の洋風住宅と規定されている。 鉄水溜(てっすいりゅう。1875年竣工)は、創建当初のレンガにモルタルを塗った貯水槽が水漏れによって使えなくなったことを受け、横浜製造所に作らせた鉄製の貯水槽で、その貯水量は約400トンに達する。鉄製の国産構造物としては現存最古とも言われる。逆に排水を担ったのが下水竇(げすいとう。下水道)と外竇(がいとう。排水溝)で、いずれも1872年にレンガを主体として築かれた暗渠である。西洋の建築様式を取り入れた下水道は、当時はまだ開港地以外で見られることは稀であり、これらの遺構もまた建築上の価値を有している。 富岡製糸場が推薦物件に加えられた理由は、「フランスの器械製糸技術を導入した日本初の本格的製糸工場」「和洋技術を混交した工場建築の代表」ということのほか、製糸・養蚕技術の発展への貢献などである。
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