宮崎師範学校
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宮崎師範学校 (みやざきしはんがっこう) は第二次世界大戦中の1943年 (昭和18年) に、宮崎県に設置された師範学校である。
- ^ 『宮崎県史 : 通史編 近・現代 1』(2000年) 260頁-263頁。
- ^ 『宮崎県史 : 別編 年表』(2000年) 177頁
- ^ 『宮崎市史』(1959年) 629頁。市史も約50年前の編纂であり、今日の地名は定かでない。
- ^ 『宮崎県史 : 通史編 近・現代 1』(2000年) 657頁。以下、1897年頃までの記述は同書656頁-665頁に拠る。
- ^ 『宮崎県史 : 別編 年表』(2000年) 185頁
- ^ 『官報』明治18年3月17日学事欄「○師範学校開校式(宮崎県報告)宮崎県師範学校ハ昨年九月ヨリ工事ニ着手シ本年二月落成セシヲ以テ同月廿八日午前第九時…開校式ヲ執行セリ又同日午後ヨリ校内ニ於テ理化学試験ヲ施行シテ衆庶ニ縦覧セシメタリ」。
- ^ 『宮崎県史 : 別編 年表』(2000年) 185頁では宮崎郡下北方村、『宮崎市史』(1959年) 633頁では宮崎町和知川原
- ^ 『宮崎県史 : 別編 年表』(2000年) 187頁
- ^ 『宮崎県史 : 通史編 近・現代 1』(2000年) 946頁。以下、1915年頃までの記述は同書945頁-953頁に拠る。
- ^ 『宮崎県史 : 別編 年表』(2000年) 203頁
- ^ 以下、1928年頃までの記述は、『宮崎県史 : 通史編 近・現代 1』(2000年) 1205頁-1208頁に拠る。
- ^ 以下、『宮崎市史 : 続編(上)』(1978年) 775頁-776頁に拠る。
- ^ 『宮崎県史 : 通史編 近・現代 1』(2000年) 1207頁。『宮崎県史 : 通史編 近・現代 2』(2000年) 10頁-12頁。
- ^ 『官報』第7452号、明治41年5月2日。
- ^ 『宮崎県大百科事典』(1983年) 878頁-879頁は、第3代校長のみ名前を挙げていない。
- ^ 『宮崎県大百科事典』(1983年) 878頁-879頁に挙げられている校長は第5代まで。
- ^ 『宮崎県大百科事典』(1983年) 879頁に挙げられている校長は第3代まで。
- ^ 『官報』第4865号、昭和18年4月2日。
- ^ a b 『官報』第5664号、昭和20年11月28日。
- 1 宮崎師範学校とは
- 2 宮崎師範学校の概要
- 3 校地の変遷と継承
- 4 外部リンク
宮崎県師範学校
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1898年(明治31年)4月: 師範教育令に準拠し「宮崎県師範学校」と改称。 1899年(明治32年)2月: 予備科を1年制に延長。予備科は1904年(明治37年)廃止。1905年(明治38年) - 1921年(大正10年)3月は私立向陽学舎が代役を担った。 1907年(明治40年)3月: 女子部を開設。 1908年(明治41年): 師範学校規程に準拠し、本科第一部 (男女とも、4年制)・本科第二部 (男子のみ、1年制、中学校卒対象) を設置。 1913年(大正2年): 通学生を認める。 1915年(大正4年): 大宮村立大宮尋常高等小学校 (現・宮崎市立大宮小学校) を女子部代用附属小学校とする。 1922年(大正11年)3月: 女子部に本科第二部を設置 (高女卒対象)。男子本科第二部の募集を中止。 1925年(大正14年)4月: 本科第一部を5年制に変更 (2年制高小卒対象)。 1926年(大正15年)4月1日: 女子部を分離し「宮崎県女子師範学校」を開校。宮崎市花殿町 (現・船塚1丁目、宮崎公立大学校地)。 宮崎県師範学校は男子校となった。同月、専攻科 (1年制) を設置。 1931年(昭和6年)3月: 本科第二部を2年制に延長。 1940年(昭和15年)3月: 本科第二部特別学級 「大陸科」 を設置 (1944年、本科に統合)。 1941年(昭和16年)4月 : 国民学校令により、附属小学校を附属国民学校に改称。
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