宮内庁管理下陵墓
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 05:20 UTC 版)
天皇・皇后・皇太后が埋葬されている御陵と皇族の埋葬されている御墓を合わせた陵墓と、陵墓の参考地は、近代以降現在では宮内庁(以前はその前身機関)が管理下に置いている。宮内省および後身の現・宮内庁は管理下になる陵墓について、学術調査を含む一切の立ち入りを厳しく制限しており、日本史研究会や歴史学研究会等の学術団体の調査要求であっても基本的に拒否の方針を執ってきた。発掘許可がほとんど下りることなく、下りたとしても極めて限定された範囲に抑えられているため、係る分野の考古学研究は重要な部分の知見を欠いたままでの発展を余儀なくされてきた。なお、陵墓の埋葬者の比定は江戸時代の儒学者・国学者などの手による文献研究を踏襲し、明治時代に宮内省が決定したもので、その後の考古学研究の進展により、緻密な編年作業が進展し、考古学者の比定と齟齬が生じているものも見られるようになった。 宮内庁が管理する陵墓は、近畿地方を中心に、北は山形県から南は鹿児島県までの1都2府30県に亘って分布している。2020年(令和2年)時点での内訳は、陵188、墓555、分骨所・火葬塚・灰塚など陵に準ずるもの42、髪歯爪塔など68、陵墓参考地46、総計899に及ぶ(※2010年〈平成22年〉時点では総計896であった。箇所数としては、同域のものを一つと捉えることから、460箇所を数える(2020年時)。 宮内庁が管理する陵墓を墳丘長の長いほうから順に挙げれば、以下のとおり。内容は、左から順に、1. 宮内庁管理下の墳墓のランキング、2. ( )丸括弧内に宮内庁管理外の古墳も含めた全国ランキング、3. 宮内庁治定の埋葬者名に準じた名称の一つ、4. ( )丸括弧内に考古学的名称、5. 墳丘の全長。 第1位(第1位) 仁徳天皇陵(大仙陵古墳) 525m 第2位(第2位) 応神天皇陵(誉田御廟山古墳) 425m 第3位(第3位) 履中天皇陵(上石津ミサンザイ古墳) 365m 第4位(第6位) 畝傍陵墓参考地(見瀬丸山古墳) 310m 第5位(第8位) 景行天皇陵(渋谷向山古墳) 300m 第6位(第11位) 倭迹迹日百襲姫命大市墓(箸墓古墳) 280m 第7位(第12位) 神功皇后陵(五社神古墳) 275m 宮内庁は式年祭等の祭祀を現在も行っており「陵墓の静安と尊厳の保持」等の理由で補修時の限定的な見学を除いて陵墓の学術調査を規制していた。しかし、2005年(平成17年)に日本考古学協会などの15の学会が調査を認めるよう要請したことを受け、2007年(平成19年)1月に陵墓管理の内規を改め、墳丘部への立ち入りや写真撮影を認めるようになった。最初に許可が下りて調査されたのは、2008年(平成20年)2月に実施された神功皇后陵(五社神古墳)であった。その後、3基を経て、2011年(平成23年)2月18日には応神天皇陵(誉田御廟山古墳)に天皇陵で初めての許可が下され、同月24日に調査された。2013年(平成25年)2月20日午前実施の倭迹迹日百襲姫命大市墓(箸墓古墳)、同日午後実施の手白香皇女衾田陵(西殿塚古墳)など、この日までに9つの陵墓で立ち入り調査が行われている。2015年(平成27年)2月20日には天智天皇陵(御廟野古墳)の調査が、同年12月4日には景行天皇陵(渋谷向山古墳)の調査が行われた。2018年(平成30年)10月15日にはユネスコ世界遺産(cf. 百舌鳥・古市古墳群)に登録されて間もない仁徳天皇陵(大仙陵古墳)に許可が下され、11月22日に宮内庁と堺市が共同で発掘調査を実施したが、これは(前身機関も含めて)宮内庁が外部機関と共同で行う初めての発掘調査となった。研究者は陵墓の文化財としての側面を認めるものとして歓迎しており、発掘を含めさらに調査を拡大するように求めている。
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