宮内庁管理の天皇陵とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 宮内庁管理の天皇陵の意味・解説 

宮内庁管理の天皇陵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 00:43 UTC 版)

安徳天皇」の記事における「宮内庁管理の天皇陵」の解説

下関市伊崎町には、壇ノ浦の戦い翌日漁師達が網にかかった安徳天皇遺体引き上げて一時的に安置したという御旅所がある。陵(みささぎ)は、宮内庁により山口県下関市阿弥陀寺町にある阿彌陀寺陵(あみだじみささぎ阿弥陀寺陵)に治定されている。宮内庁上の形式円丘天皇祀る赤間神宮境内所在する壇ノ浦の戦い1年後安徳天皇怨霊(おんれい)を鎮めるため源頼朝の命により阿弥陀寺御影堂建てられた。御影堂天皇殿)が安徳天皇社であり、京都方面向いた東向き造立された。『玉葉』によると、後鳥羽天皇時代長門国安徳天皇怨霊鎮慰のため、一堂建立されている。阿弥陀寺天皇怨霊鎮慰のため、まず木彫等身大尊像刻まれ本殿中心に厨子収めて安置され現在の本宮ご神体となる。その尊像周囲天皇守護する平家一門10名の肖像描かれ、その下段位置する拝殿安徳天皇8年生涯を8障子絵表した安徳天皇縁起絵図』が飾られた。 明治時代廃仏毀釈運動により、阿弥陀寺廃されて、現在の安徳天皇祀る赤間神宮となった新たな社殿造営のため、御影堂解体が行われた際に、本殿床下五輪塔存在確認されたことにより、数十箇所陵墓伝承地の中から、阿弥陀寺隣接するものが陵墓とされた(赤間神宮社務所発行源平合戦絵図』「阿弥陀寺御影堂について」1985年)。赤間神宮安徳天皇二位尼竜宮城にいたという建礼門院見た夢(『平家物語』六道之沙汰」)にちなみ、竜宮城再現した竜宮造りとなっている。 のちに安徳天皇は、久留米水天宮福岡県久留米市)の祭神とされて、水の神安産の神として各地水天宮祀られるようになった。また皇居では、皇霊殿宮中三殿一つ)において他の歴代天皇皇族とともに天皇の霊が祀られている。

※この「宮内庁管理の天皇陵」の解説は、「安徳天皇」の解説の一部です。
「宮内庁管理の天皇陵」を含む「安徳天皇」の記事については、「安徳天皇」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「宮内庁管理の天皇陵」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「宮内庁管理の天皇陵」の関連用語

宮内庁管理の天皇陵のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



宮内庁管理の天皇陵のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの安徳天皇 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS