宮内庁時代
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1978年5月、富田朝彦宮内庁次長の長官昇格にあたって後任として宮内庁に転じた。在任中には昭和天皇の傘寿記念行事や東京サミットでの接遇、浩宮の結婚問題などをめぐる国会答弁に手腕を発揮した。 1988年4月、勇退する徳川義寛侍従長の後任として侍従長に就任した。入江相政、徳川と2代19年にわたって侍従生え抜きの侍従長が続いた後の就任であった。富田長官の後任の藤森昭一宮内庁長官とともに、昭和から平成への代替わりの重責を担い、昭和天皇の闘病を支えたほか、「大喪の礼」「即位の礼」など様々な重要儀式を取り仕切った。また、天皇皇后の東南アジア、中国、欧州訪問などにも随行した。 1996年8月、一過性脳虚血発作により入院し、9月、二度目の発作で脳梗塞との診断を受けて鎌倉節宮内庁長官に辞意を伝え、12月12日付で退任した。退任にあたっては文書でのコメントを発表し、「病気のためご奉仕もできぬままに退官することを大変申し訳なく思っております」「御代替わりの行事があり、大変な光栄」「今も、昭和天皇の崩御のことを思うと胸のつぶれる思いがいたします」「平成の御世となり、両陛下のヨーロッパ諸国等の外国ご訪問にお供させて頂いたことも大変思い出深いこと」など述べた。
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