宮内庁治定の陪冢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 21:33 UTC 版)
宮内庁治定の三嶋藍野陵陪冢は、域内陪冢1ヶ所、飛地陪冢8ヶ所の計9ヶ所。上の3ヶ所(飛地に号・ほ号・と号)を除くものについては、古墳であるか否かを含めて考古学的に太田茶臼山古墳の陪塚であるかは定かでない。そのうち次の二子山古墳では宮内庁管理地外の部分において発掘調査が実施されている。 二子山古墳 宮内庁治定:飛地ち号(通称「二子山」) 所在地:高槻市上土室6丁目(北緯34度50分55.22秒 東経135度34分45.43秒 / 北緯34.8486722度 東経135.5792861度 / 34.8486722; 135.5792861 (二子山古墳(三嶋藍野陵飛地ち号))) 形状:前方後円墳 1959年(昭和34年)に隣接の名神高速道路建設に伴う周堀部の発掘調査、1977年度(昭和52年度)に大阪府水道拡張事業に伴う発掘調査が実施されている。 墳丘長40メートル、後円部直径20メートル、前方部幅30メートル。前方部を西方に向ける。墳丘南側くびれ部には造出(長さ7メートル×幅3メートル)を有し、北側にも存在したとされる。葺石・埴輪のほか、外堤で円筒埴輪列が検出されている。出土品は、円筒埴輪・朝顔形埴輪・形象埴輪(家形・盾形・蓋形埴輪など)・須恵器片。5世紀後半頃の築造と推定される。 そのほかの宮内庁治定の陪冢は次の通り。 域内陪冢(通称「車塚」、位置) 飛地い号(茨木市東太田4丁目:位置) 飛地ろ号(茨木市東太田4丁目:位置) 飛地は号(通称「太田山」、茨木市太田3丁目 太田神社境内:位置) 飛地へ号(茨木市高田町:位置) 二子山古墳(飛地ち号)左に後円部、右に前方部、背景に名神高速道路。 域内陪冢(車塚) 飛地い号 飛地ろ号 飛地は号(太田山) 飛地へ号
※この「宮内庁治定の陪冢」の解説は、「太田茶臼山古墳」の解説の一部です。
「宮内庁治定の陪冢」を含む「太田茶臼山古墳」の記事については、「太田茶臼山古墳」の概要を参照ください。
- 宮内庁治定の陪冢のページへのリンク