天文学的な同定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 08:03 UTC 版)
イエスの降誕を知らせた星の正体が何であったのかについては様々な説があり、特定はされていない。現代においては、天文学者らはこの星について様々な見解を持っている。超新星、惑星、彗星、惑星どうしの接近や会合などありとあらゆる事例が提唱されているが、この話の歴史的な正確さに疑問を持ち、この星はマタイによる福音書の筆者によって作られたフィクションではないかと考える学者も少なくない。 「いつ」の話なのかを絞り込むために重要なヘロデ(ヘロデ大王)の享年に関しては比較的はっきりしており、『ユダヤ古代誌』のXVII巻8章1節・9章3節に、(ヘロデ大王は)「ローマ帝国による任命から37年間統治・内戦を征してから34年後で過ぎ越しの祭りの少し前に死亡した。」という趣旨の記述があり、任命が紀元前40年の冬であることが同書の任命時の説明より分かるので単純に計算すると「37年後」は紀元前3年の3 - 4月死亡になるが、以下の根拠より端数切り上げの誤差で紀元前4年の過ぎ越しの祭り(4月11日)の少し前が妥当とされる。 「ヘロデ死亡の少し前、暴動を起こしたユダとマタティアという人を処刑した夜に月食が起きた。」と『ユダヤ古代誌』XVII巻6章4節にある事。紀元前3年と2年の月食はエルサレムでは目撃不能だが、紀元前4年なら晴れていれば3月12-13日に目撃できる。 息子のアルケラオスとアンティパスの統治は父の死後からだが、紀元前3年にヘロデ死亡だと解任までの年数(10年と最低43年で紀元後6年と39年解任)が統治年に足りない (なお、ヨセフス自身は天体現象で前述のヘロデ死亡前の月食やユダヤ戦争前の彗星らしい「剣のような星」について書き残しているが、ベツレヘムの星らしい天体現象については触れていない。) 1614年、ドイツの天文学者ヨハネス・ケプラーは、紀元前7年に起きた、木星と土星の3連会合、すなわち両惑星が合体して見えるほどの接近を3回繰り返したのがベツレヘムの星の正体であると結論付けている。当時、木星と土星は接近しつつ留と逆行を繰り返し、3回も大接近した。しかし現在では、両星の間隔は1度(月や太陽の視直径の2倍程度)ほど離れていたので、珍しい現象ではあるが合体してより明るく見えたというわけではないことがわかっている。キリスト生誕の頃に起きた天文学的な現象を網羅した、バビロンにおける古代暦が発見されたが、そこでは惑星の会合を特別視するような記述はなく、キリストの誕生と結び付けられるような神秘性が付与される現象とは考えられない。 また、紀元前2年に惑星の会合が頻繁に起きている事実を重視し、6月の日没後にバビロンの西の空(しし座)に金星と木星の大接近を見た東方の博士が星の方向、すなわち西方に向かって旅立ち、8月の日の出前(しし座)にベツレヘムで水星・金星・火星・木星の集合を見たとする説もある。 彗星であったという説もある。紀元前12年にハレー彗星が現れた事が中国の記録に残されているが、キリスト生誕の年としては早すぎる。 また紀元前5年にも何らかの天体が中国や朝鮮半島の観測者によって目撃されている。その天体は70日間観測されているが、彗星であったか超新星であったかは不明であり、これがベツレヘムの星であったと断定する根拠もない。 ベツレヘムの星の他の候補としては天王星が挙げられ、紀元前9年に土星と、紀元前6年に金星と会合しているが、実際には天王星は肉眼ではほとんど見えないので可能性はないと考えられる。 2005年には、ベツレヘムの星は、アンドロメダ銀河の近くで爆発した超新星や極超新星とする仮説が示された。しかし銀河系外で発生した超新星残骸を分析して正確な爆発時期を割り出す事は困難である。
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