天文学分野における貢献
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/20 01:05 UTC 版)
「ジョゼフ=ジャン=ピエール・ロラン」の記事における「天文学分野における貢献」の解説
ロランがネマウサの他に小惑星を発見することはなく、彼について知られていることは多くない。天文学者エドゥアール・ステファンはロランのことを「とても有能な若者だ」と評している。また、「マルセイユ学派の傑出した一員」、アマチュア天文学者、ニーム保証局の検査官であるという記載もある。 ネマウサの発見がなされた私設天文台は、かつて天文学者バンジャマン・ファルツ(フランス語版)が使っていた家屋に設置された物で、ファルツが1836年にマルセイユ天文台の所長に新しく就任するのに伴い、彼が置いて行った物であった。ファルツは自分の観測機をロランに預け、ロランは後に小惑星を見事に発見した。この天文台があった家屋はニームのラゴー通りにあり、現在はネマウサの発見を記念するプラークが設置されている。 フランス科学アカデミーは、1858年に小惑星や彗星の発見者ら5人とともに、ロランに対してネマウサ発見の功績をたたえてラランド賞を授与した。また、1876年にアンリ兄弟の弟、プロスペールが自身の発見した小惑星にロランの名を冠して (162) ローランシアと命名した。 ロランは1858年11月26日にマルセイユ天文台の観測助手に任命されたが、1859年2月20日に辞めた。辞職の理由をロランはファルツの天文台の運営がめちゃくちゃだったためとしているが、ファルツの側ではロランに責任感がなく指示に従わないと非難し、そのことを1863年5月14日付けアントワヌ・ダバディへの書簡に記している。 1859年2月の辞職に際してロランは化学分析を始め、J. Icard et J. Laurent の名前でマルセイユの研究所の調査をし始めた。
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