大慶油田とは? わかりやすく解説

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たいけい‐ゆでん【大慶油田】

読み方:たいけいゆでん

中国黒竜江省中南部にある大油田建国10周年1959年発見されたのを記念して名づけられたもの。ターチン‐ユーティエン。


大慶油田

読み方たいけいゆでん
【英】: daqing oilfield

中国東北地方黒竜江省ハルビンチチハル間の低地にある同国最大油田
ソ連当時)の技術援助による探査作業過程で、中ソ関係が悪化した 1959 年発見された。ソ連技術者引き揚げ後中国共産党石油工業部の肝いり人海戦術的な開発が行われ、翌 1960 年 6 月生産開始された。中国では「油田」としているが、実際に薩爾図油田葡萄花油田など 20 あまりの油田集合体油田群)である。大慶石油管理局操業母体であったが、1998 年組織改革後の操業企業は大慶油田分公司である。生産され原油は、パイプライン口径 28 インチ長さ 1,152km )で遼寧省鉄嶺送られここから一部大連へ、一部秦皇島北京方面輸送される
地質区としては盆地リフト盆地)に属し、集油形態背斜構造産油層は白亜紀砂岩多層)で、深さは幅があるが 1,500m 前後究極可採埋蔵量発表されことはないが、公表されている「残存確認埋蔵量」( 38トン)と累計生産量18トン)とを合わせた 56トン(約 414バレル)がそれに相当する。しかし、この残存量の値明らかに大き過ぎる。原油パラフィン基で流動点高く(+32.5 )、ワックス分 22.4 %、比重 33.2°APIイオウ分 0.08 %。油層圧力維持のため、油層への水圧入(水攻法が行われている。
生産量は、当初増産につぐ増産続け 1976 年には 5 千万トン/年( 100 万バレル/日)の水準達したが、以後安定生産期に入った2004 年産油量は 4,640 トン/年( 92.8 バレル/日)、同年末における累計生産量は約 18トン(約 125バレル)と発表されている。

主文献『世界の大油田』(1984)、『中国石油産業』(1985)、『石油地質探鉱用語集』(1989)、“Oilfield Development in China”(1992)、『中国石油と天然ガス』(2004
齊藤 隆2006 年 3 月

大慶油田

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/06 10:07 UTC 版)

大慶油田
大慶油田有限責任公司本社ビル
大慶油田の位置
中華人民共和国
地域 黒竜江省
陸上/海上 陸上
座標 北緯46度36分 東経124度54分 / 北緯46.60度 東経124.90度 / 46.60; 124.90座標: 北緯46度36分 東経124度54分 / 北緯46.60度 東経124.90度 / 46.60; 124.90
運営者 中国石油天然気
開発史
発見 1959年
生産開始 1960年
生産
推定原油埋蔵量 16,000 百万バレル (~2.2×109 t)
採掘可能原油量 3,600 百万バレル (~4.9×108 t)
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大慶油田(たいけいゆでん、ターチンゆでん)は、中国東北部黒竜江省、ハルビンとチチハルの間に存在する油田である。命名は地名からではなく、油田が建国10周年の節目で発見され「大いによろこ(慶)んだ」ことに因む。

100 km四方に広がる中国屈指の大油田であり、油田の開発は、第二次世界大戦後輸入に頼っていた中国の石油事情を一変させた。2000年前後から原油生産は減退傾向にあり、天然ガスの生産にシフトしつつある。

歴史

  • 1953年 - 中華人民共和国国務院地質部長のモンゴル族地質学者李四光が松遼盆地の調査を開始[1]
  • 1959年 - 原油が確認される[2]
  • 1960年1963年 - 掘削開始。
  • 1963年 - 生産開始。
  • 1997年 - 原油生産量として過去最大の5600万トンを記録。
  • 1999年 - 採算部門を集約した株式会社中国石油天然気(中国石油)と非採算分野の国有会社中国石油天然気集団公司に分離。
  • 2002年3月 - リストラやレイオフ、退職(失業)者に対する保険料率の見直しに端を発する抗議デモが発生。2万人規模に達した。
  • 2003年 - 対日輸出終了。
  • 2004年 - 天然ガス噴出事故の発生。
  • 2005年2007年 - 生産減退をカバーするための新たな鉱区(油田、ガス田)を探索した結果、原油1億トン、天然ガスが1000億立方メートルを発見したと報道されるが、事業化できるかどうかは定かではない。

キーワードとしての大慶油田

1960年代の開発時には、多数の労働者人海戦術で投入。他国(少なくともアメリカ合衆国)の技術を用いずに施設を完成させたとして、労働者の模範的職場として賞賛され、「工業では大慶に学べ」というスローガンが生まれた[2]。最盛期には日本の原油輸入量の3割に相当する年間5000万トン以上の生産量を誇った[2]。しかし、中華人民共和国の世界貿易機関加盟により国際的な価格競争にさらされ、1990年代以降は著しい合理化が進められた。この結果、労働者の大量リストラレイオフが発生。中国では珍しい退職者も含めた大規模デモが発生した。また、大規模な天然ガス噴出事故に伴う労働災害が発生するなど、中国における労働者事情を語る上で、未だ頻出するキーワードの一つとなっている。

生産の減退

中国の原油生産を一手に担い大量生産を続けてきたが、2000年前後には採掘される原油に占める含水率が9割前後に達したと伝えられなど、生産量は後退期に差し掛かっている(2007年の原油生産量は4,170万トン。天然ガス生産量は25.5億立方メートル)。また、廃水処理に伴う環境対策などコスト増が無視できない状況になっている。2004年からの世界的な原油価格高騰により、こうしたコスト回収には一定の目途がつくものと考えられるが、中国奥地の油田開発が進むこともあり、かつてのような偏重的な生産は行われないものと考えられる。

脚注

出典

  1. ^ 赵文津院士:大庆油田发现真相,中国独创理论不容抹杀
  2. ^ a b c 日本経済新聞2016年3月31日朝刊第11面「凍り付く油田の街・大慶」


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