アジアの分断国家とは? わかりやすく解説

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アジアの分断国家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 07:38 UTC 版)

近代から現代にかけての世界の一体化」の記事における「アジアの分断国家」の解説

詳細は「国共内戦」、「朝鮮戦争」、および「インドシナ戦争」を参照 米ソ中核にして戦後世界秩序形成されていくと、アジアでも激し内戦がおこり、国家分断という事態が生じた中国では、大戦後国共内戦突入し農民支持をえた共産党勝利して1949年毛沢東主席とする中華人民共和国成立した新中国は、地主制の撤廃社会主義社会建設着手し50年中ソ友好同盟相互援助条約締結した共産党政権のもとで、1953年より農業集団化がはじまり、1958年以降大躍進運動展開されるなかで政社合一人民公社組織された。また、ソ連援助により重工業建設にも力をいれ、1960年代はじめに大慶油田開発にも成功した内戦敗れた中国国民党台湾にのがれ、中華民国維持し1952年には日本との間に日華平和条約締結して国交回復した日本植民地支配終わった朝鮮半島では、米ソ分割占領されたのち、1948年北緯38度線はさんで南に大韓民国、北に朝鮮民主主義人民共和国それぞれ成立した北朝鮮軍の南侵により1950年はじまった朝鮮戦争では、それぞれアメリカ新中国支援受けて一進一退戦い展開し3年後には板門店休戦協定結んだ。しかし、これにより半島南北分断固定化されることとなったベトナムでは、大戦終結直後ホー・チ・ミンベトナム民主共和国独立宣言したが、植民地維持をはかるフランス南部コーチシナ共和国ベトナム国など別の政権をたててインドシナ戦争第一次)が起こったこれにやぶれたフランス54年ジュネーヴ協定により撤退したが、かわってアメリカ介入し、その支援により南部ベトナム共和国建てられて、南北分断解消されなかった。 1951年サンフランシスコ平和条約によって独立回復した日本ではアメリカとの密接な軍事的経済的協力関係のもとに経済の復興すすめられたが、沖縄その後米軍占領下のこされた。1956年には日ソ共同宣言によってソ連との国交回復し国際連合加盟したが、両国のあいだには北方領土問題のこされた。

※この「アジアの分断国家」の解説は、「近代から現代にかけての世界の一体化」の解説の一部です。
「アジアの分断国家」を含む「近代から現代にかけての世界の一体化」の記事については、「近代から現代にかけての世界の一体化」の概要を参照ください。

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