アジアの例外
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 08:39 UTC 版)
北朝鮮は、建国期から朝鮮戦争期の1950年代まではソ連の影響下にあり、ソ連に加え、同時に中華人民共和国の軍事支援なども受けていた。その後、体制内派閥抗争による粛清が多く行われ、満州派であった金日成主席への個人崇拝体制へと変貌してゆく中で、中ソ対立の結果、双方と距離を置いた、「主体思想」と呼ばれる独自路線の体制・外交路線に向かっていった。 民主カンボジアは、中華人民共和国の支援を受けており、また対立していたベトナム民主共和国を支援していたソ連とも対立した。その後勃発したカンボジア・ベトナム戦争では、ベトナム社会主義共和国の軍事侵攻を受け、さらにベトナムの支援によって、親ベトナム・ソ連政権のカンプチア人民共和国政権が誕生した。中ソ対立で反ソ連の立場にあった中華人民共和国およびアメリカ合衆国や日本などの西側諸国は、クメール・ルージュによる大量虐殺を受けてもなお、反ソ連で利害が一致した民主カンプチア政権側を支持し続けた。
※この「アジアの例外」の解説は、「東側諸国」の解説の一部です。
「アジアの例外」を含む「東側諸国」の記事については、「東側諸国」の概要を参照ください。
- アジアの例外のページへのリンク