大型生物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 01:17 UTC 版)
現在の状況からは想像しがたいが、かつてニホンアシカやクジラ、ウミガメやサメ類の一大生息地でもあり、沿岸性であるコククジラやセミクジラ、ウバザメやジンベイザメ、ホホジロザメ、オニイトマキエイ、マンボウなどの大型魚類やオサガメなど、現在では絶滅危惧種となっている大型の生物も多く見られたとされる。たとえば周防灘や別府湾などは鯨類にとって育児海域になっていたとする意見も存在する。瀬戸内海の各地に小規模な捕鯨会社が設立されるなどの狩猟と漁業による圧力や、高度経済成長期に急速に拡大した護岸を含む沿岸開発と環境破壊、海洋汚染などを経て、これらの動物は瀬戸内海からは江戸時代から昭和時代初期にかけて激減または地域個体群絶滅を迎えた。前述の絶滅危惧種はほぼ消え去ったが、たとえば他種のクジラならば現在でも稀に迷入することがある。 土佐湾に定住するニタリクジラ(カツオクジラ)はかつて豊後水道や大阪湾、瀬戸内海にも普通に生息していたとされ、近年でも芸予諸島や宇和海などに短期間定着した例がある(瀬戸内海周辺には多数の鯨類に関連する昔話や鯨塚が残っており、芸予諸島には『まんが日本昔ばなし』でも紹介された「くじらのお礼参り」という民話や、豊後水道には「鯨の背比べ」と呼ばれる、鯨類の海面での繁殖行動を連想させる話が伝わっているが、大型鯨類のこれらの地域での過去の生態がどの程度であったのかは不明瞭である)。 同じく土佐湾や豊後水道でよく見られるハンドウイルカ、オキゴンドウ等も比較的頻繁に目撃されている。豊後水道には現在、少なくともハンドウイルカ、ミナミハンドウイルカ、ハセイルカの3種類が季節的または年間を通して定住していると考えられている。また、個体数の回復に伴い近年ではザトウクジラやミンククジラの確認や小滞在が微弱ながら増えているほか、マッコウクジラの確認も特に東西両方の太平洋につながる海峡内部にてある。源平合戦(治承・寿永の乱)の折、瀬戸内海を進むイルカの群れの進行方向を使って戦績の吉兆が占われたという逸話も残っている。 1957年、明石海峡と播磨灘に夫婦のシャチが漁業との軋轢を考慮して駆除されるまで約2ヶ月間定着しており、かつて瀬戸内海に定着した群れがいた可能性がある。大阪湾では生存個体の観察例はないが、ナガスクジラの漂着が相次ぐ。古記録上でも大型のナガスクジラ類と思わしき鯨類が、同海域にて渡し船上から度々目撃されていた事が明らかなほか、シロナガスクジラも第二次世界大戦前は確認されていた。余談だが、日本国内で近代では唯一のホッキョククジラの迷入例は大阪湾にて発生しており、ツノシマクジラが新種として認定されたのは瀬戸内海の水域からほど近い角島にてである。 鯨類のほか、ニホンアシカは20世紀初頭まで鳴門海峡を含む瀬戸内海各地に見られ、ニホンカワウソも1975年まで棲息が確認されていた。また、陸生ではあるがニホンジカやニホンイノシシが瀬戸内海を泳いで縦横断する光景は古来より見られてきた。 アカウミガメやアオウミガメも激しく減少したが、現在も回遊は続いている。明石市の望海浜などの産卵場が最も有名だが、戦前は瀬戸内海各地にこのような産卵場が存在し、近年でも大阪府沿岸や淡路島などでも確認されている。しかし、定期的な繁殖場として機能しているのは依然明石沿岸のみである。オサガメは2002年や2003年に発見されている。2002年の確認は産卵との情報があるが、これまで日本で唯一の産卵の確認例は奄美大島のみである。
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