鯨塚
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鯨塚(くじらづか)は、海浜において岸に打ち上げられた鯨を祀った塚のこと。日本の他、ベトナム沿岸地域にも、鯨を祀った社や塚が点在する。[1][2][3]
- ^ “クジラ信仰とは” (ベトナム語). ベトナムの声放送局 (2017年4月16日). 2022年6月9日閲覧。
- ^ “クジラを祀るベトナムの「鯨寺」[特集]”. VIETJOベトナムニュース. 2022年6月9日閲覧。
- ^ VnExpress. “Venerating the whale, Vietnamese fisherman’s best friend” (英語). VnExpress International. 2022年6月9日閲覧。
- ^ 南房総捕鯨伝承施設〜醍醐新兵衛墓所、鯨塚ほか〜(PDF)
- ^ 南房総捕鯨伝承施設〜長性寺ほか〜(PDF)
- ^ 『佐久口碑伝説集南佐久編限定復刻版』発行者長野県佐久市教育委員会 全332P中944P 昭和53年11月15日発行
- ^ 『佐久口碑伝説集南佐久編限定復刻版』発行者長野県佐久市教育委員会 全434P中92P 95P 昭和53年11月15日発行
- ^ 蛭子神社 (太地町)とは別個
鯨塚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/02 01:49 UTC 版)
神奈川県三浦市西浜の地蔵院にある鯨塚は、城ヶ島で鯨が捕獲された1834年(天保5年)に建立された。 東京都品川区の利田神社にも鯨塚がある。1798年(寛政10年)に長さ16から18メートルの鯨が追い込み漁により捕獲され役人や将軍徳川家斉が検分した後、払い下げを受け当時の江戸庶民が潤い賑わった、その感謝と追悼で鯨の頭骨を埋め塚を作った。その後、品川で1820年(文政3年)には3間半(約6.3メートル)と2間半(約4.5メートル)の「さかまた(シャチ)」2頭が捕らえられている。また1822年(文政5年)に漁師達が長さおおよそ20メートルの鯨を捕獲した記録も残っている。
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鯨塚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/03 04:51 UTC 版)
当社の境内には、「鯨塚」と呼ばれる墓がある。1798年(寛政10年)に品川沖に迷い込み、仕留められた鯨を埋葬した場所である。当時は江戸市中が大騒ぎとなり、鯨を一目見んと野次馬が殺到したという。江戸幕府11代将軍・徳川家斉も、この鯨を浜御殿(現浜離宮恩賜庭園)まで曳かせて供覧したという。 俳人谷素外もこの鯨の騒動を詠んでいる。 江戸に鳴る 冥加やたかし なつ鯨
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